あること。いまを、いきること。ー another room

『一緒にいてくれてありがとう。』豊かで恵みあふれた世界をみるために、A Course in Miracles(奇跡のコース)を通したクラス、 セッションにて うちなる教師(医師)を育てています。

4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30)

【4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30)時間変更に関して】

東京の猫さんはおじいちゃんですが

茨城の猫さんは、若くて、

生後5ヶ月にみえないほど・・・!

名前を呼ぶと、畑や竹やぶの、中から

どこからともなく、だだだーっと

やってきます。

木を2メートルほど、のぼったり。

「みて、みて、みて!」

「ひと、すき!」

という感じで、聴きながらお話していると

猫さんの、じんわりとゆるんでゆく姿に

こちらも、ゆるみます。

 

おじいちゃんで、ぜんぜん、動かない猫さんも。

若くて、動き回りたくて仕方のない猫さんも。

わたしに、ゆるみ方を

おしえてくれます。

 

 

「やわらかな、ふわっとした

よろこびのなかに

Spiritは、あります。

 

あなたは、Spirit、光そのものです。

だからこそ

あなたは、恵みのなかに

やさしい世界に

いるのです。」

 

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明日4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30に変更です)

場所は、(急遽変更で)

表参道の青南いきいきプラザで行います。^^

地図:青南いきいきプラザ

ご参加ご希望の方は、メッセージまたは

メール(megumi.miyamoto.0910@gmail.com)にて

ご連絡くださいませ。^^

 

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『桜のいのち。庭のこころ』唯一無二のこころの一部。

「桜がみたいけれど

足がいたいし、いけない」

という93歳のおばあちゃんに

近くのお寺の桜を提案しました。

 

当日になって、「桜、みにいこう:)」

といったら

「怖くて(方言で疲れていて)いけないから、いっておいで」

と・・・!

 

無理に誘うのも違うし、

かといって・・・うーん。

体調のことばかりはなぁ。。

とおもいつつ

きもちの移り変わりを、そっと

みまもってみました。

 

「行けても、行けなくても

どちらでも」と

声がしたように

おもえたとき。

 

おばあちゃんから、彫刻家の伯父さんに

『すこし、桜をみてくるから、留守番しててやぁ』

と話しかける姿が。!

 

「あれ? いま、言ってのは

聴き間違い?」

と、すこし驚きましたが

おばあちゃんは外着に着替え、

杖をつきつつ

弟の運転する車にのり、五部咲きほどの桜を

みてきました。

 

桜の木も、お寺を囲う木々も

「よくきたね」と

かたってくれているようでした。^^

 

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伯父さんに借りた本から・・・。

京都市右京区山越の

佐野 藤右衛門(さの とうえいもん)さんの

著作「桜のいのち、庭のこころ」 (1998/4/6 初版)

で、植木やさんのお仕事のことなど

かかれていました。

 

 

神社に銀杏があるのは

火事になったとき、

水を多く含んでいる銀杏が

とめてくれる、とか。

土が合わないと、植えたい木があっても

その土にあわずに枯れてしまう、こと。

植木のお仕事を見習いにきた方には

個性をみぬいて、個性をいかすこと。

 

なくなったおじいちゃんも、

まだ建築をしているお父さんも

「植物」や「植木」に対しての

見守りにかけることがおおくて

「なにが、そんなに惹かれるのだろう??」

とギモンにおもっていましたが

わたしも、木と人が同じ

とおもうから

人のその奥、木のその奥に

惹かれるのでしょう。

 

そして、わたしの頑固さや

人に頼れない、聴けない「弱さ」のあるところを

観抜いてくれている

伯父さんが、笑

「読んどけ」と本をとおして

「つなぎなおしてくれている」のだと

かんじます。タイミングという神業によって。

 

 

本の一部をかいておきます。

 

『桜をやりかけてわしの木や植物に対する考え方が変わりましたな。それまでは庭をつくろう、つくろうとしてたんですわ。つくるほうが先へ行ってしもうてね。やっぱりそれでは考えが浅いですわ。急ぐというわけじゃないんですが、とにかくつくろうということだけが先走って考えるんですわ。

生きものというか植物を相手にしているという、そこまでの考えはなかったですな。ただ、季節を見る、時期を見る、これは今いいとか、あかんとかいうのは、徐々に覚えていったもんやから、それはそれでいいんですけど、木のいのちとか、木の生かし方を自覚して考えられるようになったのは桜をはじめてからでしたな。

というのは、何でもないものを生かすことを考えるしね。若いときはできた木を使うて、自分で形をつくっていくんですわ。できたものを持っていって、いかにそれを組み合わせたらいいかと。ところが桜をはじめてからは、そこらにあるものを何でもええ、持っていって、最終的にうまいこと合わしたらええわ、というやり方に変わってきています。そういう意味でもわしが桜をやったことは大きかったですな』

 

きょうも、お読みいただき、ありがとうございます。:)

 

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割れた高価なワイングラス。流れてゆくもの。

力みなく

流れるように。

そうしきれないときは

一旦とまってみて。

心のなかに、すみわたる朝陽を

かんじれたら

五感も、きりかわっていて

その状態でみる風景は

ぜんぜん、別格。

 

 

 

真ん中にある

ということよりも

「もっとこうしておけばよいかな(周りのために)」

と、ふらふら〜っと「しすぎて」しまう。

もしくは

心の奥と、一緒にとりくむことを

わすれてしまう。

 

そういうとき、わたしは

なにかが割れたり、なくなったりします。

鏡とか、グラスとか・・・。

 

最近は

お父さんのかったばかりの

ワイングラス(すごく吟味して買ったときいたもの)

を、そんなに触っていないのに

割りました。

べつなこと(気にかかること)を考えながら

洗っていたら、あっけなく、われました。

買ってからほんの数日で^^;

 

 「あちゃ〜ものすごく、言われそうやぁ」と

おもったのですが、さして、言われず。!

 

それのおかげで(というのも変ですが)

固定していたお父さんへの

イメージが、滝にながれるかのように

さぁーっとながれていきました。

 

もう、大分、長い間

固定していて

錆び付いていた感じだったので

新鮮です。おなじく、わたしの中の錆も

すっきり洗い流されたかのような。

 

肉眼でみるものは

流れてゆくし

すぎさってゆく。

 

でも

それが「象徴」されるものなら

ゆっくりとみたり

きいたり

かんじれたら

永遠に浸透してゆくものは

たしかにある。

 

 

 

 

朝の瞑想は動的な瞑想の

ひふみ体動のおかげで

静かな瞑想が、より深く、静かにできました。:) 

 

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遠隔チリさん( ´ ▽ ` )#ねこと#ビデオ通話#毎日の#癒し

 

 

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関係性の中で光だすもの。 

桜の木をみるとき

根っこは土の下に隠れて

みえないけれど

そこを観ようとすると…

木をかんじられますよ、というような

ことが、aiaoiでみた呼吸の本に

あったことを思い出しました。

 

 

奇跡は関係性の中で

光だします。うまれていって

つらなってゆきます。

 

頭におもいうかぶ思い

というのかな、それは

分離で。

もしくは、その言い回しだと

きついなぁというときは、

料理の材料のように

奇跡の道具のひとつになってゆきます。

 

どんな思いがあるのかを

よくみること、

時間をかけてよいところです。

 

4/20の瞑想会を企画してくださる龍さんは

こちらのスタディグループも

行っていて・・・

スタディーグループの詳細|本田健の幸せな小金持ちになるホームページへようこそ(アイウエオフィス公式サイト)

具体的なおもいを

たとえば、龍さんご自身が

外資の社長さんでもあるので

上司や部下との関係、お仕事のこと、チームワークなども

根っこからみれたら、これまでとは

ちがった体験がはじまると、おもいます。^^

(わたしも、面白い体験をしたのですが

そのお話は時間があったら瞑想会の時に…)

4/20のことは、またお知らせします。

 

 

いろんなおもいが分離なら

統合された、たったひとつのおもい、

ことばに映すなら

愛のおもいって

なんだろう?

とかんじてみました。

 

それは、最近、お話してくださる方も

練習していることで

深い深いところに

たずねてみたり

聴いてみたり

まねいてみたり

感謝につつまれたり、

信頼にみちていたり・・・

 

そういう、曖昧な、流れのあるところ。

 

わたしは、偶然の一致を

いまは、あまり大切にみていません。

それは、練習もかねていて・・・

わたし自身、本質をみすごしてしまうから、です。

 

きいてもらえることに

たずねられていることに

かえってくる安心感に

ふれていたいから、でもあります。

 

 

四方八方に、土の中に

はる根を

みてみたいとおもいます。

桜もちも、葉っぱついているやつが

たべたい!(こしあんで!)

 

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カミナリの命名。 聖霊に聴いてみること。

 夜の雷から、一変して、快晴です^^

 

雷といえば、

うちのお母さんから

「テレビでお笑いみていたら、

ぜっっったいに

この人は茨城出身の人だとおもったの!!」と

熱弁されました。

その芸名(コンビ名というのかな?)

が「カミナリ」らしく、なぜカミナリなの?

とお母さんに聴いたところ

「名前をかえよう!となって、その芸人さんの

お母さんにきいたら、丁度雷が鳴っていたから

カミナリでどう? といわれて、そうなったみたい!」

ということでした。

 

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クラスでも、セッションでも

 普段から

どちらがいいとおもいますか?

どう考えますか?

 

と、聴かれるときに

個人としてのわたしがどう思うか

というところも

あたりまえに、出てきますが

その奥の心、Spirit

また相手の方の聖霊に聴くようにしています。

つながっているところに、です。

だから、すこしだけ

(いや、だいぶかな)遅いです。

 

個の自分をふくめた、全体に貢献している

その真の自己の中心から

ズレてしまうと、疲弊しすぎます。

 

だから、聴くこと、尋ねること

立ち止まること、

「いま」の中心を

おしえてもらうこと

を、プラクティスしています。

どなたかがいる、それは

その方との「間」にこそ

中心、本来のわたしたちが

存在しているのです。

 

ご質問やお話いただいた方は

すべて、つねに

ことあるごとにおもってます。

(返事おそいだけで・・・)

あずけて、祈りの

あることも うれしいです。

 

「聴いてもらえるだけで、ありがたい」と

お話される方がいますが

「お話してくれて、

一緒にあずけられることこそ

ありがたい」と

かんじます。

 

 

これは、以前おしえていただいたことで

聞き流せなかった部分をふまえて

かきます。

 

奥の存在、声、Spiritを感じるには

体感、感知することは

身体からです・・・

「聴く」「みる」「感じる」

どれも、身体を通って

きています。

身体というのは

この「奥の心」を感じようとする

その目的において、

大切な道具、パートナーです。

最初に「Spirit」、そのための、

たいせつな道具・パートナーです。

 

ヒーリングも身体をつかいますが

Spiritに聴きながら、ついてゆくだけなので

「こうしよう」

「こうしておいたらよいかな」という

コントロールがはずれてゆきます。

「なんとなく・・・

ここのような気がする」という

力みのぬけた感覚を

お互いにうけとれます。

 

 

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スズメの朝ご飯。

 

 

明日は、朝7時ごろから

瞑想とヒーリングをすることになりました。

たのしみ^^

 

 

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Healing ヒーリングのこと。

こちらの記事を読んで、

かんじたことを、かいておきます。

⑨ ヒーリングの前提 - yasukokasaki.com

 

 

奇跡のコースをベースとした「ヒーリング」は、

いま、この瞬間に

深くはいっていき

無限にある英知、豊かさ、

インスピレーションを

その2人ともが同時にうけとること

だとかんじます。

霧がかった、個人的なおもいを

とおりぬけて

ずっとその奥にある

やわらかさにふれてゆもの。

 

 

受ける人も、施す人も

なにもかもが、同時。

 

ヒーリングは

日頃から、だれしもが行っていることで

特別なことではないです。

お料理も、写真も、

文章や、空間、作品、何気ない会話も。

ある、という

「存在」そのものが、ヒーリングのように

かんじます。

 

 

心の奥底にチューニングされると

自動的に

まわりもととのいます。

どのアプローチでも

かまいません。

最適なものに、必ず、出逢えているはずです。

 

 

そのチューニングを、

ご一緒にさせていただくこと

そして、自分だけの独りよがりなおもいを

てばなして、ほんとうに「奇跡の道具」として

使ってもらえること、とても有り難いです。^^

 

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ヒーリング遠隔でのご希望は

別途、コメントやメッセージ

megumi.miyamoto.0910@gmail.comまでご連絡ください。

遠隔の場合は、うけとった内容をお手紙にして

郵送いたします。

直接のヒーリングは、東京 高円寺と

茨城でご希望があるときに

行っております。

現在、モニター募集、交換セッションは

行っておりませんので

あらかじめご了承ください。^^ 

 

 

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朝の呼吸。見守りのあるところ。

朝から、カエルが鳴いています。

 

1匹が鳴くと、まわりも

つられるように

鳴いてゆく・・・!

共振するのか、鳴き止むと

みんなで、休憩していて。

 

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それと、季節はずれのシクラメン

最初のころは

枯らしてしまうかもと

おもっていましたが

声をかけてみたら

まだまだ、咲きそうです。

 

手入れではなく

守りが大切ですよ、と

叔父さんがかしてくれた

本にもありました。

 

 守り、とは

見守りのこと、ですね。

 

 

まわりと

くらべすぎてしまったり

仕事を、

自分とまわりのためにと

一念発起してやめたのに

または、新しくはじめたのに

うまくゆかなかいと

みてしまったり。

 

ひどく疲れてしまうのは

聖なる呼吸と、

まわりとじぶんの

光をみていることを

忘れて

たえまなく、(意味のない、力のでてこない)判断、分析することを

選んでしまうから。

 

 

エゴのドラマとは、

突き詰めると

「こんなはずじゃないのに」と

いまの自分や環境に

あせりがあるときかもしれません。

このいまの完璧性を

わたしだけでは、みれなくて

つらいとき、かもしれません。

 

ドラマそのものが

ゆるされているのではなく

テレビドラマをみているときのように

それを、みて、心がうごいている

そこが、ゆるされて、あるのです。

 

深呼吸をして、

いまいる空間や

空を

心でみる、そのときに

胸の奥から

やわらかな風が

ふいてゆくのを

かんじられます。

 

かんじられるのは

それこそが、「いいよ」と

神に、語られているから。

そこに、霊(スピリット)がいるから。

 

ゆるされている、

というのは

仰々しいものでなく

区別や分離の感じられないところまで

ひきあげてもらえる感覚です。

 

 

 

 

きょうも、やさしい一日を:)

 

 

 

 セッションのことは、こちらからご確認ください:)

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