あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

桜の夜に。『恐れを愛に 涙を笑いに 喪失を豊かさに』

 

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夜桜と月を

一緒にみました。 

 

ぽとぽと、

あるっていたら

あっという間に2時間半。!

 

 

桜並木なのに

どこか

海を眺めたとき、

広大な自然の

そのただなかにいるときの

ふわぁぁと

こころが広がる感じがしました。

どこまでも広がるものを

おもいだしたくて

ここにいるような…。

 

 

 

 

たまに、

お話してくれる方から

わたしの

知らないその方の姿を

垣間見ました。

 

わたしたち、ひとりひとりは

光の照らされている道そのもの。 

 

あなたが照らしている道を

わたしも歩けることができる。

 

そのように

ゆっくり、じっくり、みているのが

かんじられて…

 

もちろん、心から

そのように

おもえないときも

あるかもしれません。

無理に、型にはめることも

あまりしません。

ただ

こちらの方が

心が ひっぱられる、ひかれている

そのようなもののときは

すこし待ってみます。

 

ひとりでは

難しいと 頭がさがるおもいのときに

一緒に

という瞬間があって

それは

尊いようにもおもうのです。^^

 

 

桜、

いっせいに咲きますよね。

すこし差はあれど…。

 

だから、同じように

いっせいに咲くように

おもいます。

その

お花見も、してみたいな。

 

 

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なんで、地味に

レッスンできるの?

あきない?

と聴かれたのですが

わたしは、レッスン

好きなんですよね。

 

ピアノの弾いてみたい曲を

奏でられるように

練習する、そのレッスンと

同じように。

自由に、奏でてみたいときに

手がついてきて

くれるように。

 

 

わたしたちの

奥底にある、やさしくて

力強い感覚。

スピリットの、魂の

心の奥の声、命の響き。

つつみこみ、とかしてゆく

預言のようなメッセージに

ふれてゆけるのは

やっぱり、なににかえても

うれしいので

レッスンも、

たのしみに、みてみます。☻

 

そして、

ほんとうに助けてもらえていると

感じられると

すごく、すごく、

有り難いともどれるのもまた

いいです。

 

 

目に留まったところを

きょうは、載せてみます。

 

すべての思いには

パワーがあるので、

ニュートラルな思いなどありません。

それらは偽りの世界をつくりだすか

本当の世界へと自分を導くか

どちらかなのです。

思いが影響を与えないことはありません。

わたしの見ている世界が自分の

考え方の間違いから生まれるように

本当の世界は、

わたしが間違いを訂正したとき

わたしの目の前に現れます。

わたしの思いが真実でも偽りでもないということはあり得ません。

必ずそのどちらかです。

わたしが見ていることは

わたしに自分の思いがどちらなのかを

示しています。

(レッスン16 復習55)

 

わたしには、自分の心とともに

あらゆる心を変えるパワーがあります。

というのも、わたしのパワーとは

神のパワーなのですから。

(レッスン19 復習55)

 

 

わたしのおもいは

分かち合われている、という

本質をみとめ

わたしは見ることを決心します。

この世界の人々の考えは

すでに変わったということを

わたしに見せている証拠の数々を

見るつもりです。

わたしを通して成されたことが

恐れを愛に

涙を笑いに

喪失を豊かさに

取り替えることを可能にしたという

証拠をしっかりと見つめるつもりです。

本当の世界をみつめて、

わたしの意志と

神の意志はひとつなのだということを

教えてもらうつもりです。

(レッスン20 復習55)

 

 

きょうも、恵みの雨の

やさしさにつつまれた一日を( ´ ▽ ` )

 

 

公式LINE@はこちら。

https://line.me/R/ti/p/@gbc4572e

「コミュニティ」と「コンサルティング」のこと。 いま、うけとりなおすもの。

「いのちのごはん会」

coco house Annexにて

さゆりちゃん、みどりちゃんの織りなす

とってもあたたかな空間のもと

開催されると聴き、うれしい朝です。ほくほく。

(「まだ、忙しくて、企画まとまっていなくて・・・」と

聴いたときもありましたが、

ぜんぜん、心配いらなかった!うれしい。)

さゆりちゃんのお話をききながら

さゆりちゃんは、つねに、シェアハウスの

「家族」の光をみているのだなぁと

おもいました。

 

 

「コミュニティ」

と「コンサルティング」のこと。

 

わたしも成長させていただいた、法人。

コミュニティコンサルティングジャパン。

 

お仕事関連で

読んでみたらとおススメされた本の中に

(題名をすっかり忘れてしまいましたが)

このような定義があり、

わたしは

これは、やってみたい、とおもえました。

その社長さん(コンサルタントの方)は

こう書いていました。

「わたしのしているコンサルティングとは、

光をみること、光をあてることです」、と。

 

わたしは、Course(A Course in Miracles)から、

またそれを教えてくださっている方の

姿勢や雰囲気から

これにくわえて

「光をうけとること」も、教授いただきました。

もしかすると、読み落としているだけで

あの本でも

言っていたことかもしれないです。

 

今朝、

朝風呂にはいりながら、

 

それでは・・・

コミュニティとは、

いったい、何のことだと

いまのわたしは感じているのだろう。

 

と、ギモンがでてきました。

 

 

湧いてきたものは

親しみなれて、使ってきたことば。

「家族」でした。

それも、すこしだけ違う感覚の。

たったひとつの

宇宙の家族。

神の家族。

 

住んでいても、

住んでいなくても。

家族という、目の前の方の光をみること。

そのような方々とつながりなおすこと。

 

「血がつながっていないじゃないか」

「経済的なことは頼れない」

「本当にしんどいとき、いえない」

など、家族というワードに

おもいが、また、でてくるかもしれません。

それは、それで

よい機会なのだとかんじます。

 

いま、ことばに、とらわれている

「家族」から

また、ゆっくりと感じなおせるから。

 

心のある、言葉にしすぎなくても

光をみて届けてもらえている、という

やわらかな感覚は

家族という

ものに近しいと、わたしはおもっています。

 

 

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写真は、さゆりちゃん。:)

最近、さゆりちゃんの妹さんにうまれたお子さんの名前が

むさしくんというらしく・・・!

宮本家にきたら、いい感じの名前になります!!

 

シェアハウスのことは、こちらにも。

https://www.facebook.com/CommunityConsultingJapan/?fref=ts

ご興味あります方は、武藤くんにもおつなぎできます。^^

https://www.facebook.com/masashiro.muto?fref=ts

 

きょうも、恵みあふれる雨。やさしい一日を:)

 

4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30)

【4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30)時間変更に関して】

東京の猫さんはおじいちゃんですが

茨城の猫さんは、若くて、

生後5ヶ月にみえないほど・・・!

名前を呼ぶと、畑や竹やぶの、中から

どこからともなく、だだだーっと

やってきます。

木を2メートルほど、のぼったり。

「みて、みて、みて!」

「ひと、すき!」

という感じで、聴きながらお話していると

猫さんの、じんわりとゆるんでゆく姿に

こちらも、ゆるみます。

 

おじいちゃんで、ぜんぜん、動かない猫さんも。

若くて、動き回りたくて仕方のない猫さんも。

わたしに、ゆるみ方を

おしえてくれます。

 

 

「やわらかな、ふわっとした

よろこびのなかに

Spiritは、あります。

 

あなたは、Spirit、光そのものです。

だからこそ

あなたは、恵みのなかに

やさしい世界に

いるのです。」

 

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明日4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30に変更です)

場所は、(急遽変更で)

表参道の青南いきいきプラザで行います。^^

地図:青南いきいきプラザ

ご参加ご希望の方は、メッセージまたは

メール(megumi.miyamoto.0910@gmail.com)にて

ご連絡くださいませ。^^

 

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『桜のいのち。庭のこころ』唯一無二のこころの一部。

「桜がみたいけれど

足がいたいし、いけない」

という93歳のおばあちゃんに

近くのお寺の桜を提案しました。

 

当日になって、「桜、みにいこう:)」

といったら

「怖くて(方言で疲れていて)いけないから、いっておいで」

と・・・!

 

無理に誘うのも違うし、

かといって・・・うーん。

体調のことばかりはなぁ。。

とおもいつつ

きもちの移り変わりを、そっと

みまもってみました。

 

「行けても、行けなくても

どちらでも」と

声がしたように

おもえたとき。

 

おばあちゃんから、彫刻家の伯父さんに

『すこし、桜をみてくるから、留守番しててやぁ』

と話しかける姿が。!

 

「あれ? いま、言ってのは

聴き間違い?」

と、すこし驚きましたが

おばあちゃんは外着に着替え、

杖をつきつつ

弟の運転する車にのり、五部咲きほどの桜を

みてきました。

 

桜の木も、お寺を囲う木々も

「よくきたね」と

かたってくれているようでした。^^

 

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伯父さんに借りた本から・・・。

京都市右京区山越の

佐野 藤右衛門(さの とうえいもん)さんの

著作「桜のいのち、庭のこころ」 (1998/4/6 初版)

で、植木やさんのお仕事のことなど

かかれていました。

 

 

神社に銀杏があるのは

火事になったとき、

水を多く含んでいる銀杏が

とめてくれる、とか。

土が合わないと、植えたい木があっても

その土にあわずに枯れてしまう、こと。

植木のお仕事を見習いにきた方には

個性をみぬいて、個性をいかすこと。

 

なくなったおじいちゃんも、

まだ建築をしているお父さんも

「植物」や「植木」に対しての

見守りにかけることがおおくて

「なにが、そんなに惹かれるのだろう??」

とギモンにおもっていましたが

わたしも、木と人が同じ

とおもうから

人のその奥、木のその奥に

惹かれるのでしょう。

 

そして、わたしの頑固さや

人に頼れない、聴けない「弱さ」のあるところを

観抜いてくれている

伯父さんが、笑

「読んどけ」と本をとおして

「つなぎなおしてくれている」のだと

かんじます。タイミングという神業によって。

 

 

本の一部をかいておきます。

 

『桜をやりかけてわしの木や植物に対する考え方が変わりましたな。それまでは庭をつくろう、つくろうとしてたんですわ。つくるほうが先へ行ってしもうてね。やっぱりそれでは考えが浅いですわ。急ぐというわけじゃないんですが、とにかくつくろうということだけが先走って考えるんですわ。

生きものというか植物を相手にしているという、そこまでの考えはなかったですな。ただ、季節を見る、時期を見る、これは今いいとか、あかんとかいうのは、徐々に覚えていったもんやから、それはそれでいいんですけど、木のいのちとか、木の生かし方を自覚して考えられるようになったのは桜をはじめてからでしたな。

というのは、何でもないものを生かすことを考えるしね。若いときはできた木を使うて、自分で形をつくっていくんですわ。できたものを持っていって、いかにそれを組み合わせたらいいかと。ところが桜をはじめてからは、そこらにあるものを何でもええ、持っていって、最終的にうまいこと合わしたらええわ、というやり方に変わってきています。そういう意味でもわしが桜をやったことは大きかったですな』

 

きょうも、お読みいただき、ありがとうございます。:)

 

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割れた高価なワイングラス。流れてゆくもの。

力みなく

流れるように。

そうしきれないときは

一旦とまってみて。

心のなかに、すみわたる朝陽を

かんじれたら

五感も、きりかわっていて

その状態でみる風景は

ぜんぜん、別格。

 

 

 

真ん中にある

ということよりも

「もっとこうしておけばよいかな(周りのために)」

と、ふらふら〜っと「しすぎて」しまう。

もしくは

心の奥と、一緒にとりくむことを

わすれてしまう。

 

そういうとき、わたしは

なにかが割れたり、なくなったりします。

鏡とか、グラスとか・・・。

 

最近は

お父さんのかったばかりの

ワイングラス(すごく吟味して買ったときいたもの)

を、そんなに触っていないのに

割りました。

べつなこと(気にかかること)を考えながら

洗っていたら、あっけなく、われました。

買ってからほんの数日で^^;

 

 「あちゃ〜ものすごく、言われそうやぁ」と

おもったのですが、さして、言われず。!

 

それのおかげで(というのも変ですが)

固定していたお父さんへの

イメージが、滝にながれるかのように

さぁーっとながれていきました。

 

もう、大分、長い間

固定していて

錆び付いていた感じだったので

新鮮です。おなじく、わたしの中の錆も

すっきり洗い流されたかのような。

 

肉眼でみるものは

流れてゆくし

すぎさってゆく。

 

でも

それが「象徴」されるものなら

ゆっくりとみたり

きいたり

かんじれたら

永遠に浸透してゆくものは

たしかにある。

 

 

 

 

朝の瞑想は動的な瞑想の

ひふみ体動のおかげで

静かな瞑想が、より深く、静かにできました。:) 

 

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遠隔チリさん( ´ ▽ ` )#ねこと#ビデオ通話#毎日の#癒し

 

 

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関係性の中で光だすもの。 

桜の木をみるとき

根っこは土の下に隠れて

みえないけれど

そこを観ようとすると…

木をかんじられますよ、というような

ことが、aiaoiでみた呼吸の本に

あったことを思い出しました。

 

 

奇跡は関係性の中で

光だします。うまれていって

つらなってゆきます。

 

頭におもいうかぶ思い

というのかな、それは

分離で。

もしくは、その言い回しだと

きついなぁというときは、

料理の材料のように

奇跡の道具のひとつになってゆきます。

 

どんな思いがあるのかを

よくみること、

時間をかけてよいところです。

 

4/20の瞑想会を企画してくださる龍さんは

こちらのスタディグループも

行っていて・・・

スタディーグループの詳細|本田健の幸せな小金持ちになるホームページへようこそ(アイウエオフィス公式サイト)

具体的なおもいを

たとえば、龍さんご自身が

外資の社長さんでもあるので

上司や部下との関係、お仕事のこと、チームワークなども

根っこからみれたら、これまでとは

ちがった体験がはじまると、おもいます。^^

(わたしも、面白い体験をしたのですが

そのお話は時間があったら瞑想会の時に…)

4/20のことは、またお知らせします。

 

 

いろんなおもいが分離なら

統合された、たったひとつのおもい、

ことばに映すなら

愛のおもいって

なんだろう?

とかんじてみました。

 

それは、最近、お話してくださる方も

練習していることで

深い深いところに

たずねてみたり

聴いてみたり

まねいてみたり

感謝につつまれたり、

信頼にみちていたり・・・

 

そういう、曖昧な、流れのあるところ。

 

わたしは、偶然の一致を

いまは、あまり大切にみていません。

それは、練習もかねていて・・・

わたし自身、本質をみすごしてしまうから、です。

 

きいてもらえることに

たずねられていることに

かえってくる安心感に

ふれていたいから、でもあります。

 

 

四方八方に、土の中に

はる根を

みてみたいとおもいます。

桜もちも、葉っぱついているやつが

たべたい!(こしあんで!)

 

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カミナリの命名。 聖霊に聴いてみること。

 夜の雷から、一変して、快晴です^^

 

雷といえば、

うちのお母さんから

「テレビでお笑いみていたら、

ぜっっったいに

この人は茨城出身の人だとおもったの!!」と

熱弁されました。

その芸名(コンビ名というのかな?)

が「カミナリ」らしく、なぜカミナリなの?

とお母さんに聴いたところ

「名前をかえよう!となって、その芸人さんの

お母さんにきいたら、丁度雷が鳴っていたから

カミナリでどう? といわれて、そうなったみたい!」

ということでした。

 

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クラスでも、セッションでも

 普段から

どちらがいいとおもいますか?

どう考えますか?

 

と、聴かれるときに

個人としてのわたしがどう思うか

というところも

あたりまえに、出てきますが

その奥の心、Spirit

また相手の方の聖霊に聴くようにしています。

つながっているところに、です。

だから、すこしだけ

(いや、だいぶかな)遅いです。

 

個の自分をふくめた、全体に貢献している

その真の自己の中心から

ズレてしまうと、疲弊しすぎます。

 

だから、聴くこと、尋ねること

立ち止まること、

「いま」の中心を

おしえてもらうこと

を、プラクティスしています。

どなたかがいる、それは

その方との「間」にこそ

中心、本来のわたしたちが

存在しているのです。

 

ご質問やお話いただいた方は

すべて、つねに

ことあるごとにおもってます。

(返事おそいだけで・・・)

あずけて、祈りの

あることも うれしいです。

 

「聴いてもらえるだけで、ありがたい」と

お話される方がいますが

「お話してくれて、

一緒にあずけられることこそ

ありがたい」と

かんじます。

 

 

これは、以前おしえていただいたことで

聞き流せなかった部分をふまえて

かきます。

 

奥の存在、声、Spiritを感じるには

体感、感知することは

身体からです・・・

「聴く」「みる」「感じる」

どれも、身体を通って

きています。

身体というのは

この「奥の心」を感じようとする

その目的において、

大切な道具、パートナーです。

最初に「Spirit」、そのための、

たいせつな道具・パートナーです。

 

ヒーリングも身体をつかいますが

Spiritに聴きながら、ついてゆくだけなので

「こうしよう」

「こうしておいたらよいかな」という

コントロールがはずれてゆきます。

「なんとなく・・・

ここのような気がする」という

力みのぬけた感覚を

お互いにうけとれます。

 

 

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スズメの朝ご飯。

 

 

明日は、朝7時ごろから

瞑想とヒーリングをすることになりました。

たのしみ^^

 

 

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