あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

やわらかな、かすかな音に耳をかたむけること。

目からあのチューリップ畑の光景が

離れず、心がほっとする、と

言っていたこともあり

写真と文章のアルバムをつくって

おばあちゃんにプレゼントしました。

前から、作ろうかなと

おもっていて、

作るまでいかなかったので

わたしの方が大満足。

 

 

 

つなげてほしいです、と、

とある方から言われたその日に

連絡しようとおもっていた方から

連絡がきたときに

とてもありがたくおもいます。

 

心に 力があることを

お二人とも、教えてくれていて。

 

焦らず、あることから

マイペース(スピリット、魂のペース)

をみてゆきます^^

 

 *

 

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コミュニケーションが

ズレてしまうとき

何がどうズレているのか

やはり

戸惑ってしまいます。

 

 

時期やタイミングも

あるやもしれないし、

ここを

みつめて、

ここに、眠っている愛を

起こして、というようなときも

あるかもしれません…。

 

 

自分自身のおもいと

内なるものの

聖なるおもいが

別物としていたり、

片づけなくては

いけないから

とりあえず、動く!と

心に、スピリットに聴くことも

わすれて、ひとりで奔走し。

疲弊してゆく。

 

 

目先のことも

丁寧に心をこめられなくて

作業のように

処理しすぎてしまったり。

 

 

僕もいるよ、聴かせて

 

という、かすかな声も

 

周りのあれこれに散漫すると

どこか、靄がかかってしまいます。

 

でも

聴けてなかったなぁと

かんじたその瞬間に。

 

差し伸べられる手が

降りてくる柔らかさが

あるのです。

 

 

わたしは、最近、じぶんも含めて

トゲトゲした音を

よく耳にしていました。

(たいてい、わたしが

間違って世界をみて

眠りこけているとき、です。)

 

だけど、よく聴いてみるなら

トゲトゲ、してるんじゃない。

 

わたしは

いままで、ずうっと

見誤ってきてただけで。

 

その音を発している方は

観ぬく人、見守れる人、

愛までぐっと潜れる人。

きっと、わたしの知らない瞬間に

いつもそれを行なってきた人。

 

痛みすらも

つつみこんで

痛みの奥にある光から

うけとりなおす人。

そして、必ず

奇跡をうけとって

まわりにも、目撃してゆく人です。

 

 

ほんとうに、みて、聴いて

きっと、表面的なところの

さらに奥に

あるもの。

 

いつも、あなたと

共にある存在が

語りかけてくれています。

 

 

 *

 

今月もご企画いただいて

4/20木曜日の19時より

ヒーリング瞑想会をご案内できます。^^

詳細ご希望の方は

megumi.miyamoto.0910@gmail.comまたは

メッセージまでご連絡くださいませ。

 

いまだからこそ、出逢えること、味わえること。

ふんわり、きいろい、御月様で・・・

なにかに似ているような。

あ、萩の月かも、美味しそう。

と、ひとり言をいっていた、わたしです。

 

* 

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最近、教壇に立つ、若い先生のお話を
ききました。

「まえまでは、
話を、他の先生方にように
わたしの授業で、生徒たちが
しっかりと聴いてくれないのは
なんでだろう。
わたしが、いけないのかな・・・
どこをなおせばいいのだろう・・・
とおもっていたけれど
いまは、
しっかり聴けるときは、聴けるのだから
その姿をしっていれば
それでいいのかも。
若い自分だからこそ
年配の方みたいに
しっかりとやれていなくても
いいんだ、と
弱音をはける自分でも
生徒たちは、よろこんで
おもしろがってくれていた」
とお話してくれました。


数学をおしえている先生。
感受性ゆたかに
わたしにも、数学の世界とクラスのことを
おしえてくれます。
そして、若いがゆえに、よく
親御さんに生徒と間違えられてしまうという・・・!


わたしは、畑で、

お日様にてらされながら
そのお話を聴いていると
とても、やわらぎました。

 

素直な気持ちを、
みてあげること。
正直に、表現すること。

いまの自分にしか、味わえないこと。

いまにおもいを、よりそってあげること。
ゆるし、はそこからが
「はじまり」にかんじます。

 

祈りに
翼を与えてくれるゆるし
というのは、ほんとうに
正直であることを
おしえてくれます。

ほんとうに正直であること
というのは、

表面的な考えやおもいを、
つかってもらう
その瞬間に訪れていて。

 

「ああ、こんな風に感じてしまう」
「だけど、ほんとうのおもい、それを
知りたい。体験を世界のすべてと
ともにしてゆきたい」という
この正直さなように、

わたしはかんじます。

 

いまのあなたで、いまのわたしで

いまだからこそ

味わえる、そのおもいも、使ってもらえている、

そのことに

こころをむけて。

 

お読みいただき、ありがとうございました:)

 

www.youtube.com

 

 

 

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初心にもどって。

朝から猫パンチをくらいつつ、
早く起こされました。
顔をスリスリしても
起きてもらえないときに
とんでくる、右ストレートの
猫パンチ…。!


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小田急線にのりながら
桜並木がみえるなぁと
ちらほらとみていたら

電車の車掌さんが
駅のアナウンスではなく、
桜並木のアナウンスを
してくれました。

『これから通過するところ、
進行方向左手に
桜並木がみえてまいります。
約1分ほどですが、
ご覧ください。^^』

それを聴いていた
ほぼ満員の電車の中の
ひとたちは
左手を見始めて
ほんとうに、1分ほど、みいっていました。
聴いていて、ほっこりするアナウンスと
桜をみる乗客の方の微笑みに
一体感のような空気感があり
よろこびに浸ったひと時でした。^^


いろんな考えや、おもい、
じぶんだけのもの、と
頑なになってきたものを
目の前に そっとおいたときに
瞬間的に 転換されることが
あります。

このときは、こうだ、という
いまに潜ることのない教えは
このいまには
不一致かもしれません。
だから、精神科医の先生が
役立つアドバイスは、役にたたない
と言っていたのやもしれないと
おもいました。

このとき、
このいまに
心に 聴いてみること。
聖霊に あずけてみること。
照らされてみること。
てらされていることを
感じてみること。

 

 

これは、どうなのだろう??
と疑問におもってくださる方が
いるからこそ
わたしも、見聞きしている
じぶんにもどれます。

 

 

まわりの不出来さにばかり
とらわれて
気持ちが重たくなるなら
それは、
じぶんの素晴らしい神聖さを
み忘れているからです。
心からの 共有やフィードバックは
真に、奥底に響き渡ります。
両者に、響くものです。


そんな、祈りあるコミュニケーションに
きょうも、触れられますように。^^

 

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桜の夜に。『恐れを愛に 涙を笑いに 喪失を豊かさに』

 

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夜桜と月を

一緒にみました。 

 

ぽとぽと、

あるっていたら

あっという間に2時間半。!

 

 

桜並木なのに

どこか

海を眺めたとき、

広大な自然の

そのただなかにいるときの

ふわぁぁと

こころが広がる感じがしました。

どこまでも広がるものを

おもいだしたくて

ここにいるような…。

 

 

 

 

たまに、

お話してくれる方から

わたしの

知らないその方の姿を

垣間見ました。

 

わたしたち、ひとりひとりは

光の照らされている道そのもの。 

 

あなたが照らしている道を

わたしも歩けることができる。

 

そのように

ゆっくり、じっくり、みているのが

かんじられて…

 

もちろん、心から

そのように

おもえないときも

あるかもしれません。

無理に、型にはめることも

あまりしません。

ただ

こちらの方が

心が ひっぱられる、ひかれている

そのようなもののときは

すこし待ってみます。

 

ひとりでは

難しいと 頭がさがるおもいのときに

一緒に

という瞬間があって

それは

尊いようにもおもうのです。^^

 

 

桜、

いっせいに咲きますよね。

すこし差はあれど…。

 

だから、同じように

いっせいに咲くように

おもいます。

その

お花見も、してみたいな。

 

 

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なんで、地味に

レッスンできるの?

あきない?

と聴かれたのですが

わたしは、レッスン

好きなんですよね。

 

ピアノの弾いてみたい曲を

奏でられるように

練習する、そのレッスンと

同じように。

自由に、奏でてみたいときに

手がついてきて

くれるように。

 

 

わたしたちの

奥底にある、やさしくて

力強い感覚。

スピリットの、魂の

心の奥の声、命の響き。

つつみこみ、とかしてゆく

預言のようなメッセージに

ふれてゆけるのは

やっぱり、なににかえても

うれしいので

レッスンも、

たのしみに、みてみます。☻

 

そして、

ほんとうに助けてもらえていると

感じられると

すごく、すごく、

有り難いともどれるのもまた

いいです。

 

 

目に留まったところを

きょうは、載せてみます。

 

すべての思いには

パワーがあるので、

ニュートラルな思いなどありません。

それらは偽りの世界をつくりだすか

本当の世界へと自分を導くか

どちらかなのです。

思いが影響を与えないことはありません。

わたしの見ている世界が自分の

考え方の間違いから生まれるように

本当の世界は、

わたしが間違いを訂正したとき

わたしの目の前に現れます。

わたしの思いが真実でも偽りでもないということはあり得ません。

必ずそのどちらかです。

わたしが見ていることは

わたしに自分の思いがどちらなのかを

示しています。

(レッスン16 復習55)

 

わたしには、自分の心とともに

あらゆる心を変えるパワーがあります。

というのも、わたしのパワーとは

神のパワーなのですから。

(レッスン19 復習55)

 

 

わたしのおもいは

分かち合われている、という

本質をみとめ

わたしは見ることを決心します。

この世界の人々の考えは

すでに変わったということを

わたしに見せている証拠の数々を

見るつもりです。

わたしを通して成されたことが

恐れを愛に

涙を笑いに

喪失を豊かさに

取り替えることを可能にしたという

証拠をしっかりと見つめるつもりです。

本当の世界をみつめて、

わたしの意志と

神の意志はひとつなのだということを

教えてもらうつもりです。

(レッスン20 復習55)

 

 

きょうも、恵みの雨の

やさしさにつつまれた一日を( ´ ▽ ` )

 

 

公式LINE@はこちら。

https://line.me/R/ti/p/@gbc4572e

「コミュニティ」と「コンサルティング」のこと。 いま、うけとりなおすもの。

「いのちのごはん会」

coco house Annexにて

さゆりちゃん、みどりちゃんの織りなす

とってもあたたかな空間のもと

開催されると聴き、うれしい朝です。ほくほく。

(「まだ、忙しくて、企画まとまっていなくて・・・」と

聴いたときもありましたが、

ぜんぜん、心配いらなかった!うれしい。)

さゆりちゃんのお話をききながら

さゆりちゃんは、つねに、シェアハウスの

「家族」の光をみているのだなぁと

おもいました。

 

 

「コミュニティ」

と「コンサルティング」のこと。

 

わたしも成長させていただいた、法人。

コミュニティコンサルティングジャパン。

 

お仕事関連で

読んでみたらとおススメされた本の中に

(題名をすっかり忘れてしまいましたが)

このような定義があり、

わたしは

これは、やってみたい、とおもえました。

その社長さん(コンサルタントの方)は

こう書いていました。

「わたしのしているコンサルティングとは、

光をみること、光をあてることです」、と。

 

わたしは、Course(A Course in Miracles)から、

またそれを教えてくださっている方の

姿勢や雰囲気から

これにくわえて

「光をうけとること」も、教授いただきました。

もしかすると、読み落としているだけで

あの本でも

言っていたことかもしれないです。

 

今朝、

朝風呂にはいりながら、

 

それでは・・・

コミュニティとは、

いったい、何のことだと

いまのわたしは感じているのだろう。

 

と、ギモンがでてきました。

 

 

湧いてきたものは

親しみなれて、使ってきたことば。

「家族」でした。

それも、すこしだけ違う感覚の。

たったひとつの

宇宙の家族。

神の家族。

 

住んでいても、

住んでいなくても。

家族という、目の前の方の光をみること。

そのような方々とつながりなおすこと。

 

「血がつながっていないじゃないか」

「経済的なことは頼れない」

「本当にしんどいとき、いえない」

など、家族というワードに

おもいが、また、でてくるかもしれません。

それは、それで

よい機会なのだとかんじます。

 

いま、ことばに、とらわれている

「家族」から

また、ゆっくりと感じなおせるから。

 

心のある、言葉にしすぎなくても

光をみて届けてもらえている、という

やわらかな感覚は

家族という

ものに近しいと、わたしはおもっています。

 

 

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写真は、さゆりちゃん。:)

最近、さゆりちゃんの妹さんにうまれたお子さんの名前が

むさしくんというらしく・・・!

宮本家にきたら、いい感じの名前になります!!

 

シェアハウスのことは、こちらにも。

https://www.facebook.com/CommunityConsultingJapan/?fref=ts

ご興味あります方は、武藤くんにもおつなぎできます。^^

https://www.facebook.com/masashiro.muto?fref=ts

 

きょうも、恵みあふれる雨。やさしい一日を:)

 

4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30)

【4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30)時間変更に関して】

東京の猫さんはおじいちゃんですが

茨城の猫さんは、若くて、

生後5ヶ月にみえないほど・・・!

名前を呼ぶと、畑や竹やぶの、中から

どこからともなく、だだだーっと

やってきます。

木を2メートルほど、のぼったり。

「みて、みて、みて!」

「ひと、すき!」

という感じで、聴きながらお話していると

猫さんの、じんわりとゆるんでゆく姿に

こちらも、ゆるみます。

 

おじいちゃんで、ぜんぜん、動かない猫さんも。

若くて、動き回りたくて仕方のない猫さんも。

わたしに、ゆるみ方を

おしえてくれます。

 

 

「やわらかな、ふわっとした

よろこびのなかに

Spiritは、あります。

 

あなたは、Spirit、光そのものです。

だからこそ

あなたは、恵みのなかに

やさしい世界に

いるのです。」

 

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明日4/7(金) Spiritクラス(13:30-16:30に変更です)

場所は、(急遽変更で)

表参道の青南いきいきプラザで行います。^^

地図:青南いきいきプラザ

ご参加ご希望の方は、メッセージまたは

メール(megumi.miyamoto.0910@gmail.com)にて

ご連絡くださいませ。^^

 

the-world-of-silence.hatenablog.com

 

 

 

『桜のいのち。庭のこころ』唯一無二のこころの一部。

「桜がみたいけれど

足がいたいし、いけない」

という93歳のおばあちゃんに

近くのお寺の桜を提案しました。

 

当日になって、「桜、みにいこう:)」

といったら

「怖くて(方言で疲れていて)いけないから、いっておいで」

と・・・!

 

無理に誘うのも違うし、

かといって・・・うーん。

体調のことばかりはなぁ。。

とおもいつつ

きもちの移り変わりを、そっと

みまもってみました。

 

「行けても、行けなくても

どちらでも」と

声がしたように

おもえたとき。

 

おばあちゃんから、彫刻家の伯父さんに

『すこし、桜をみてくるから、留守番しててやぁ』

と話しかける姿が。!

 

「あれ? いま、言ってのは

聴き間違い?」

と、すこし驚きましたが

おばあちゃんは外着に着替え、

杖をつきつつ

弟の運転する車にのり、五部咲きほどの桜を

みてきました。

 

桜の木も、お寺を囲う木々も

「よくきたね」と

かたってくれているようでした。^^

 

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伯父さんに借りた本から・・・。

京都市右京区山越の

佐野 藤右衛門(さの とうえいもん)さんの

著作「桜のいのち、庭のこころ」 (1998/4/6 初版)

で、植木やさんのお仕事のことなど

かかれていました。

 

 

神社に銀杏があるのは

火事になったとき、

水を多く含んでいる銀杏が

とめてくれる、とか。

土が合わないと、植えたい木があっても

その土にあわずに枯れてしまう、こと。

植木のお仕事を見習いにきた方には

個性をみぬいて、個性をいかすこと。

 

なくなったおじいちゃんも、

まだ建築をしているお父さんも

「植物」や「植木」に対しての

見守りにかけることがおおくて

「なにが、そんなに惹かれるのだろう??」

とギモンにおもっていましたが

わたしも、木と人が同じ

とおもうから

人のその奥、木のその奥に

惹かれるのでしょう。

 

そして、わたしの頑固さや

人に頼れない、聴けない「弱さ」のあるところを

観抜いてくれている

伯父さんが、笑

「読んどけ」と本をとおして

「つなぎなおしてくれている」のだと

かんじます。タイミングという神業によって。

 

 

本の一部をかいておきます。

 

『桜をやりかけてわしの木や植物に対する考え方が変わりましたな。それまでは庭をつくろう、つくろうとしてたんですわ。つくるほうが先へ行ってしもうてね。やっぱりそれでは考えが浅いですわ。急ぐというわけじゃないんですが、とにかくつくろうということだけが先走って考えるんですわ。

生きものというか植物を相手にしているという、そこまでの考えはなかったですな。ただ、季節を見る、時期を見る、これは今いいとか、あかんとかいうのは、徐々に覚えていったもんやから、それはそれでいいんですけど、木のいのちとか、木の生かし方を自覚して考えられるようになったのは桜をはじめてからでしたな。

というのは、何でもないものを生かすことを考えるしね。若いときはできた木を使うて、自分で形をつくっていくんですわ。できたものを持っていって、いかにそれを組み合わせたらいいかと。ところが桜をはじめてからは、そこらにあるものを何でもええ、持っていって、最終的にうまいこと合わしたらええわ、というやり方に変わってきています。そういう意味でもわしが桜をやったことは大きかったですな』

 

きょうも、お読みいただき、ありがとうございます。:)

 

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