あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

味わい深い日々に。

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いまを、うんと味わっていたら

文章にし忘れていました。 

きょうは、味わいぬいたあとに

わいてきたことを

書こうとおもいます。

 

 

 

こころが、もとにいた家にもどってきたとき

それは、悲しみでも、苦しみでもない涙になって、ほっとして、ポロポロと泣けました。

 

こんなにも、愛されている、それは

どこにも属さず、なににもつかず、考えにすらすがらなくとも

たしかに、ここに、あったのです。

 

 

 

心の奥の、Heartで…そこにいるだけで

ぱたりと 間違いに気づき

違和感に気づき

そして、気づいたとたんに、消えて…

ただ、静かな優しさだけが

内側から満たされていきました。

 

 

 

そう、この感覚的なものですが

ここにいる時間と空間が

圧倒的に多いとき。

わたしは

おもったら、あずけ、うけとる、という

とても感謝につつまれる世界が深まりました。

そこに

驚かなくなりました。

より、感謝と

また、わたしの大切な方々への祈りへと

深くもぐるだけの日々を

大切にし始めました。

 

だれにも、なににも、言わなくても

それを、たんたんと、凛とされている方への

感謝と敬意も…。

 

 

そして、ふとすると

蓮さんとのやりとりの中で、わたし自身の

降参がふえました。

これが、わたし、というものが

つねに書き換わることを

怖がらなくなりました。

ほんとうに、わたし というものは

相手との、間にあることを

うけとり、わかちあう、その奇跡にだけ

身を浸してゆきました。

 

 

子供といることが多いなかでも、

言葉の通じない子ども相手ではなくて…

言葉ではないところを、うんと、使っている素晴らしいコミュニケーションの、連続。

 

ほんとうのわたしたちを、蓮さんは、子どもは

おしえてくれます。

 

 

 

 

 

とらや の羊羹を買って帰省しようと

わたしは、おもったのですが、直人くんから新宿まで、外にでないと…と聴いて、保留にしていました。

保留のときは、つねに、祈ります。

こころに

スピリットにあずけてまちました。

そうしたら、たまプラーザで、ベビーカーのうえに、とらやの紙袋がありました。

調べてみると、ビルの真向かいの地下に、とらやがあると…!

さっそく、買ってかえりました。

 

 

奇跡は、こころの訂正、

ゆるしのあとに、必ず起きます。

 

 

 

いつも、その贈り物を、ありがとう😊

 

 

 

 

 

 

 

ドラマを、奇跡の道具に。

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 蓮さんとマンゴーをたべます。

くり抜いてスプーンで、

口まで運び、パクり。

パク、パク、パク。

満足げなお顔です。

 

蓮さんは、自分の手で

食べたいと、ご飯の器に、私がマンゴーをよそると、そこから食べようとしつつ、マンゴーがするりと、逃げて行きます。笑

 

 

ご想像通り、ご飯の時も、マンゴーのときも、部屋は散乱。オムツは、マンゴーだらけに。

 

 

でも、あまり、わたし自身は苛立ちません。

なぜなら、わたしも、結構散らかすので

困るのは直人くんです。ごめん。笑

 

わたしも掃除するときもあれば

グチャグチャなときもある。なので

蓮さんのことも、なにをしたいのだろう…と観察こごろと遊びごころが大きいです。

 

 

 

今朝、実家の母から

送られてきた直人くんと私へのラインに

ドラマでみたセリフがかかれていました。

毎日、録画したドラマを観ることが趣味な母です。

こう書いてありました。

ドラマの主人公の話したことみたいです。

 

自分は、、
怒ったり許したりしたくない…
こうあるべきとか

こうじゃなくちゃ許せないとか

執着してしまうから人は

ゆるせないとおもい怒ってしまう。

相手を縛るのではなく、

自分を緩める、、

あるがまま、川の流れのように

あるがままを受け入れて

ただ流れていく。
そうすれば誰もがいつかは大海、

凪ぎの心、無我の境地にたどりつける。



 

朝四時からみたドラマへの気づき…!

もはや、お坊さんの写経のように、ドラマから学んでいる母に、脱帽です。

 

 

何回か読まないと

わたしには、何を言っているのか

分からなかったのですが、

ゆるすのは、つねに、じぶん、ということを

言っているようでした。

 

こうじゃなきゃ、と、おもっているなぁ。

そう気づいたら、そこで、オーケー。

なおさなきゃ、とか、

もっとこうしなきゃ、と

捻じ曲げることは、自我からのドラマをつくりだしてしまいます。

 

 

つくってしまったものは、気づいたなら

明け渡します。

 

すべてのおもいを、祈りにのせて

奇跡の道具へと。

 

 

 

たくさんのものを

こなせばいいのではなくて

ただ、そこから、なにを受け取っているのか、

それだけを、日々、深く感じて

うけとりたいです。

そのために、できた、スペースに、感謝です。

 

 

 

 

きょうも、あふれる豊かな奇跡を、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

マンゴーのあふれる香り。

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ていねいに暮らす…ということを、みわちゃんから教わっている私に、みわちゃんからマンゴーがとどきました。

宮古島のマンゴー。大きい、香りが冷蔵庫中に満ちています。

 

ちょっとまえに、

ニャンコ先生(という、キャラクター)の

嫁ぎ先を探していて…直人くん、UFOキャッチャーでとってきてしまうから…

みわちゃんが貰ってくれましたので、わたしも、とても嬉しいきもちがいっぱいでした。

 

 

 

蓮さんは、咳と鼻水が、まだ出ますが、熱は下がったようです。きょうも、ご飯粒を服いっぱいにくっつけて…手づかみ食べをしていました。

 

 

わたしは、のりちゃんがシェアしていた記事を見習って、おにぎりに、美味しい京都の味噌をつけて、たべました。

直人くんが遅いときは、よく、おにぎりをたべます。(先週は、そのおにぎりが、脱水症状のわたしには、きつかったらしく、吐き気の引き金となり、病院にいきましたが。笑)

 

 

味噌おにぎり🍙✨✨✨

最高です。

 

 

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コミットすること、決意すること、

愛をみる、奇跡を体験する、ということは

厳密に、人とわかちあうこと…というお話を思い出しました。

 

 

何をわかちあいたいのか…です。

それは、きっと、何を一緒にうけとるのか、

だと感じます。

 

 

 

 

言葉じゃ追いつかないものであっても、

言葉じゃ追いつかないのだけど、と、

そこではないものを指していると、

そこ、も

同時に感じられるやもしれません。

そうです、その、余白に。

 

 

 

 

 

祈りあるコミュニケーションが

蓮さんとも、直人くんとも

からしあえることが

ほんとうに、わたしには、救いです。

そこで、ほんとうのわたしたちに

触れられるから。

 

 

 

夜泣きの蓮さん、直人くんと

散歩中です。いつも、ありがとう。

 

はじめての熱に。

直人くんが、いただいた制作キットで、蓮さんのファーストシューズをつくりました。

蓮さんは、まだ、靴に慣れないため、履いた途端歩かなくなりました。

 

皮の心地がステキな靴です。MADE IN 鎌倉。

 

わたしが、中々、12センチの靴がみつからない、とおもったあとに、祈ってあずけてみたら、掃除中に、探さなくとも、あるかも、と思い出しました。箱を開けてみると、

ちょうど12センチの靴でした。勝手に14センチくらいの靴の制作キットだとおもっていましたが、違いました。

 

 

おくってくださった方にも、たくさん、ありがとう、です。

 

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昨日の午後から、はじめて発熱した蓮さんに

夜中、眠れないらしく、わたしも起こされるため、夢を4-5回みました。

朝になって、すこし、直人くんに蓮さんをみていてもらい、目を閉じてみましたが、また夢…!

夢をみた記録が更新されていそうな朝です。

 

 

蓮さんは、いま、すこし喉と鼻の薬をのんで、授乳しおえると、眠りました。眠かったようです。

 

 

いつもは、家の中をイタズラする蓮さんが、こうも、熱でずっと、ぴったりくっついていると、それも新鮮です。

蓮さんのイタズラ先が、わたしの本棚で、そこから、コースの本をめくっていたりする姿に、びっくり。

 

 

 

 

神さま、スピリット、

きょうも、安心にみちた一日を、ありがとうございます。  わたしの自我は、体調を崩している目の前の方をみて、悲しみ、苦しみだけをみています。なんとかしようと外側ばかりにかまけて、心を見忘れています。

神さま、あなたと、共に、この方の内なる光を、わたしたちの、ほんとうの姿をみられるよう、助けてください。 いま、助けてくださっていることに、ありがとう。

あなたからの、奇跡の体験に、心から感謝します。

 

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『未来のミライ』を観て。空からみられているわたしたちに。

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カフェ・オ・レのフロート✨✨✨

 

夏バテにより、食欲が激減していて

そのときに、

すこしだけ、祈りました。

 

神さま、わたしは、まだ食べても気持ち悪くなってしまう、どうしたら、体調がもとにもどるのか…わからないでいます。

わたしの心が、どこかで、喜ばない選択をしたこと…それもあるようにおもいます。

わたしは、それを、どのように元に…喜びあるところにもどるのか、忘れてしまいました。

どうか、いまのわたし、そこにある心がそのものを、奇跡の道具として使ってください。

 

 

神さま、スピリット、あなたが

完璧に なして下さった愛の数々に

感謝します。ありがとう。

 

 

 

そして、最近観てきた映画、

未来のミライ、をおもいだしていました。

 

過去も未来も、いまにあること…

子育てを、はじめたころのわたしにも

まったく、子どもが苦手だった昔のわたしにも

そして、これから道をもどる、未来のわたしにも

 

さりげない日常に、空から見られている、響いてくる、じんわりする映画でした。

 

 

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あっという間、その中に溢れんばかりの

愛が、光が、優しさがあふれている。

 

 

わたしたちは、それを、そこを

ただ、生きるだけでいい…そんな風に感じました。

 

 

映画をみたあと、小説で読んでみました、より、さりげないところにある、ほんとうのものに触れる、文字と文字の間にふれる優しさをおもいだせています。

 

 

直人くんの好きなサマーウォーズの小説もかって、帰宅しました。(毎年、夏に、サマーウォーズをみる直人くん)

 

 

 

f:id:yolocobi:20180729182155j:imageきょうも

たくさんの愛を、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

奇跡は、つねに、すぐそばに。

『奇跡は、わりとよく起きます』

 

 

と、ドラマ 義母と娘のブルースのセリフにあり

第3話目をティーバーで見ながら

ほっこりしました。

 

主人公は、たぶん、大人になったときの

宮本みゆきちゃん。回想しているかのような、はじまりなのです。

 

 

 

その主人公のお名前からして、

わたしには、ミラクルで…

なぜかというと、わたしの母の、大親友さんのお名前がみゆきちゃん。

さらに、母は、いつも、みゆきちゃんは3人目のじぶんの子どもだとおもっている、と言っています。

 

 

そんな、不思議なご縁に感謝しつつ、外に出ないで、ドラマを観ていましたら、

なんだか、はたと、気づきました。

 

 

 

いちばん許せない世界をゆるせたとき

それは、いちばん、美しいとみえる世界。

 

 

 

許すのはいつも、自分自身。

ですが、相手に貼り付けていた影を

降ろして、ゆるせたとき、すなわち

ほんとうの光の姿をみたとき

それは、もっとも、うけとりたかった世界だ

という、奇跡のコースにかかれている

とても、美しい箇所を

そのまま、ドラマで見させていただいたような心地になりました。(義母と娘のブルース、第3話です。来週の月曜日までは、Tverにてみれます…!)

 

 

 

人と観ていると感動しても、わたしは、泣かないようにしてしまうのですが、完全に一人で観ていたので、あまりの愛に、涙、でした。

 

 

だれかの、何気ない一言や、その行動にも、まさにスピリットが導いてくれていて

つねに、いるべきときに、いるべきところに

居合わせている…ということも、

描きだされているかのように、感じました。

 

 

 

 

 

奇跡は、いつも、起きている。

それに気がつけるように、見させてもらえるように、体験させてもらえるように

一歩引き下がってみる…道を、ゆずる…

 

 

 

お読みいただきありがとうございます。゚

 

 

 

きょうも、優しい奇跡と愛にあふれた一日を。

祈ってます。

 

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夜の点滴に。

昨晩、脱水症状という、熱中症にかかったわたしは

びっくりする苦しさから、戻ってきました。

 

 

いまは、直人くんと、蓮さんが朝散歩から帰宅後、眠っています。

わたしは、お腹の痛みが、まだありますが、だいぶ吐き気がなくなったので、安静にしています。

 

 

病院で、天井をながめながら、担架にのったとき、わたしはこの体験が、何度めかを思い出していました。

小さなときも、担架に乗せられて

すごく、こわかったキモチが蘇った感じです。

 

 

小さな頃のわたしが、入院しているときは、看護師さんや、お医者さん、となりの女の子との、やりとりがあったようです、母の買ってくる絵本は、40冊以上にもおよんでいました。

でも、なぜか、ほとんど私に記憶が全くないのは、こわかった、さみしかった、痛かった、というそのキモチがあったところから、愛にもどってしまったからなのかもしれません。

 

なので、担架に乗っているのが、いまのわたしでも、そのころの私でも、あまり、変わらない感じがしました。

 

 

 

ふりかえると、

昨晩は、蓮さんと帰ってきてから

体調が優れず、そのため

お仕事の連絡も、リスケしてもらって、安心していたところに

我慢のならない吐き気と、腹痛になりました。

 

夜間病院にいき、そこでも、立っていられず、担架に寝せてもらいました。

全身硬直したような痺れに、とっても怖くなったのに、となりの看護師さんがお友達の顔に似ていて、さらに、とても冷静なので、その方の心にあわせていると、あまりパニックになりませんでした。

 

 

 

はやく、かえりたい、

はやく、よくなりたい。

 

 

そんな風におもいつつ、点滴をながめていると、点滴は、ゆっくり、すこしずつ、入ってくるので、ゆっくりでも大丈夫なのだろうなぁと余計に気が急いでいることに気づきました。

 

 

ベテランの先生が、採血の結果をお話してくれたあと、

わたしの点滴をみて、ベテランの先生が

もう少し早めてもいいよ、点滴

といいました。

若い先生が、

これくらいですか?

とこたえると、

 

いや、もうちょっと

これくらい?

いやいや、もうちょっと

なんだか、漫才してるまたいになってますよ!

 

 

と、漫才トークにわたしが

笑ってしまったら

 

お!笑えるまで回復しているのは、いいね!

漫才トークも、そのためのチェックだから!

 

とのことでした。

 

いまおもうと、そのときに、笑えた感じは、きっと、入院しているときも、そのような、優しい時間が、あったのだとおもいます。なぜなら、わたしの小さなころの入院写真は、ほとんどが、スマイルで写っているからです。 

 

 

 

日頃の、水分補給も気をつけつつ…

日々の生活の有り難みや、カラダという私の心に、スピリットに仕えてくれている、大切な友達にも、感謝です。

そして、看護師さん、先生方にも。

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すべてのおもいが、奇跡につかわれますように、たすけてくれて、いつも、ありがとう。