あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

なにをおいても、わたしは、愛を見る。

 

 

きょうは、

わたしが、この世界に、うまれてから、10000日目の誕生日。

わたしのあたまもハテナがおおいので、ブログもハテナにかえました。笑

 

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最寄りの弁天様には、雨がふったら

いつもだれかが傘をさしてくれています。

 

きれいな、弁天様のままなのは

雨の日も雪の日も

傘をさしてくれるだれかがいるから

かもしれません。

今朝の雨でお花に雨水が装飾されたみたいになっていました。

 

 

だれかが炊いてくれた

しろいごはんと、インスタントのお味噌汁。

月末は忙しいから、お昼もほんとうに

軽めで、母におくってもらった「ひじき」のふりかけを

たべながら、思い出したことがありました。

 

決断する、って

愛をみると決めているのに

ことごとく、不調和はつづく(ようにみえる)し

ひとも、はなれていく。

わたしが頑張るほどに、きまらない。

 

 

なんでこうなんだろう。

わたしのなにが、いけないんだろうって

おもってました。

 

きょうは、生まれてから一万日目だよと

おしえてくれて、おめでとう、といってくれた

社長に恩返しをしたいのに。

 

「めぐと◯◯くんとで

会社が◯◯になったら、ないちゃうな」と

メッセージがきてました。

わたし、がんばってるのに

成果でない。

成果だせない。

いいところも、改善も見えるから

このままじゃ、いけないって

また、責めちゃいそうな

自分。もう何度も祈るのに、

責めることを、やめられない自分。

 

わたしは、責めていることのひとつに

「喜んでもいたい」というものがありました。

喜んでもらうこと、のどこが責めているの?

とハテナが飛び交いそうですが・・・

 

小さなころから、成績優秀でいると

祖父母に喜んでもらえるたことが

うれしかったのです。わたしは、まわりの家族が

喜んでくれるのが、好きでした。

いつも、笑っててほしかったし

怒鳴るより、呆れるより

わたしのことも、母や、父や

どのひとのことも

ほめてほしかったのです。

 

 

期待にこたえる。

予想以上のことを、だす。

それも、すべて喜んでもらいたかったから。

 

じゃあ期待にこたえなかったら

ほんとうにダメな

わたしだったら、見放されただろうかと

おもいました。

 

おもった、ときに

間髪入れずに

泣けてきたのです。

やさしく、「そんなことは、ないんだよ」と

言われたかのように。

 

どんなわたしでも、だれも、みはなしてはこなかった。

おくびょうな、わたしだけが

わたし をみはなしていたのでした。

 

 

期待にこたえようが

こたえなかろうが

喜んでくれようが、くれなかろうが

わたしはすでに、ここにあることで

神様からの喜びをうけとれるし

それを、わかちあうことができる。

 

◯◯じゃなきゃ、喜んでもらえないとか

本当はないんだと、

泣きながら、おもいました。

 

よろこびを、うけとって、ゆく。

それが、わたしの

わたしたちの、してゆくこと。

 

なにをおいても、

わたしは、喜びをうけとろうと

ぶれてもいい。まちがってもいい。

祈りだけはわすれずに、いようと

おもいました。

 

先日は、シェアできる場があったこと

こころから、感謝を、おもっています。