安心のもとに。
目の前にコップがあります。
あなたは、このコップが
じぶんだとしたら、
水はどれくらい注がれて
満たされていますか?
この、満たされていないと
かんじるところ。
不足をみるところが
わたしたちの
心をくるしめています。
エゴにとっては、葛藤させることが
ゴールです。
なにかをコントロールしているときや
こうしたら、思い通り、というのも
うまくいってるようにみえて
あとから
ストップがかかります。
動機が、
これは愛だ、といいつつ
コントロールという恐れだからです。
まずは、心地よくなれることを
じぶんにしてあげること。
安心のもとにしか真の向上は
ありえません。
うれしかったことや
意外なことも。
なにかの出来事が
起こるたびに
分析や解析、アドバイスは
いらないのです。
それよりも
運動したり、レッスンしたり
こころが楽になる時間を
ふやしましょう。
出来事を多方面から
みれる、聖霊の視点をもつひとが
ひとりでもいるかぎり。
すべては、愛にもどろうと
するでしょう。
わたしたちには
みれない面も
たしかにあるはずなのです。
だから、
祈りあるコミュニケーションしか
存在しえないし、それは
知覚のはるか
向こう側にあるのです。