あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

猫に小判。お金さえあれば、ってなんだろう?

こんにちは、Megumiです。いろんなところから

ご覧くださり、ありがとうございます。

きょうも長文ですが、じぶんのためにも、書いてみます。

 

 

 

2月2日です。

 

猫の日!!

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猫です!

 

 

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猫の日に、まったく関係ないですが

猫というワードつながりで

疑問におもったことを調べてみました。

 

猫に小判とは、このような意味でした。

「猫は鰹節には飛びつくが小判の価値はわからないので、それを当てても何の意味のないことから。」

 そうでした。

猫に小判のぬいぐるみとか、像とかがあって

かわいいな♫とおもっていた私です・・・。

 

 

最近、じぶんはお金にとらわれてしまって

こんなんじゃ、ダメだ

ぜんぜん、というお話をきいていました。

 

だけど、こちらからみる「その人」は

人にたいして客観的に、

俯瞰して愛をみぬいています。

論理的であっても、

その論理は宇宙の摂理

理解しようとする論理にかんじました。

なによりも奇跡体験からくる表現は

ほんとうの現実(ひろがる豊かな感覚)を、

同じようにつまづいている方にとっては

うけとりやすいようにしているなぁ、とおもったのです。

 

仕事も、営業していないのに「やってもらえないかな?」と

依頼がきていることも、そう。

 

 

お金がない、というその人の口調も表現も

いつのまにか慣れてつかっていて

錆び付いた固定されたものにかんじました。

 

 

お金がない、ってなんだろう?

お金さえあれば、って、なんだろう?

 

 

「ない!ない!」

と騒ぎ立てている

その心は、混乱しています。 

 

混乱という、葛藤や争いが

心のなかでおきていると

優しい世界はひろがっていかないでしょう。

「どうしたらいいんだろう・・・」と

かなしくおもってしまうのも、壁にどーん!です。

(自分から、ぶつかりにいっている、ということです。)

 

 

どのように考えればいいだろう、と

Holy Spiritに聴くと

ガイドブック8を手にしていました。

そこに書いてあるとおりです。

(わたしなりの表現が、最近すぐでてこないので、引用します。><)

 

「あなたも、相手も、すべてをもっていることを思い出しなさい」

これだけです。

 

相手でなく、事実は、それをみている

このわたしが、「◯◯さえあれば」と知覚している

じぶんをゆるさなければならないのでしょう。

 

 

「わたしの、まわりの人は、すべてを豊かにもっている」

「そのことを、ともに、おもいだしている」

 

 

固く錆び付いた想い。

その想いを

ずっと、じっと、心の奥でみていたら

やわらかな「世界」を表現していたい

一緒に愛を、みてゆきたい、という

豊かにいきる「いま」を

うけとっているのでしょう。

 

 

 

 

Holy Spiritに「足りない」ということばはなく、

ほんとうのじぶんを表現して与えたいとき

また、必要なときには必要なだけ

いつでも、お金という「紙」は用意してもらえます。

「紙」は

道具だからです。

 

 

余談ですが、文章というこの道具も

ちゃんと書けなくて残念だな、とか

もっと、ちゃんと書きたいのに、とか

「ちゃんと」がたくさん。

語彙ゆたかに、おもうままに表現したいな、とか

たくさん湧いてきます。笑

 

それも、すこしずつ、「ダメなままでも、」

表現してゆけたらな。と

おもいました。

 

 

駄文、長文、読んでくれて、ありがとうございます。