あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

世界からボクが消えたなら。

『“飼い"も"ノラ"もない。猫は猫であり、自分のすみかと食事に人間を利用しているかしていないかのちがいでしかないのだ。
つまりはこういうことである。
人間に飼われている猫などいない。
猫の方が、人間のそばにいてやっているだけなのだ。』

猫のキャベツのひとりごと。

この本は、
『世界からネコが消えたなら』の
もうひとつの物語。
『世界からボクが消えたなら』

大崎駅中の本屋さんで
なんとなく読みたくなって
買いました。

月曜日から、日曜日までの
章立てなので
その日の分を
その日にだけ読みます。
まえに借りたときも、そんな風に
読んでみました。笑

まるで、レッスンみたいだなぁ
とおもいつつ。笑
ゆっくりと、よんでゆきます(^人^)

紅茶スコーンをお友だちの
料理家もこちゃんから
いただいて、とても
フワフワで美味しくて。
読書にぴったり…すごいなぁ。

あまりにもリアルな夢に
大号泣しながら起きる朝は
久々でした(^∇^)✨


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ここからは、Facebookには
載せていないことを……笑

じぶん、というもの
自己というものを
集中してゆくこと。
責めないこと。
肯定してゆくこと。
←否定するメリットばかり
握りしめている自我もいます。
そのときは、否定のメリットを
よくみることです。


わたしというものが
満たされてゆくと
ほんとうのわたしは
だれかとの
間にたちあらわれる
たったひとつの愛
そのものであることが
体験してゆきます。


たいせつにしていると
その
化学反応が
おきてくるのです。

わたしは、自己否定が
つねに多く、まわりには
散々なことを言わせていました。笑
否定することと向上心が
セットになっていました。

ほんとうの成長を
愛の体験をたすけてほしいと
よく、訂正をしてます。笑



クラスも、セッションも
そこにいて、聖霊の采配を
愛をみてゆく……霊的な感覚は
かるくて、やさしくて、つつみこまれます。

なにかをすることは
身体をたとえばつかうことは
極力さけます。
ただ、祈ることだけ。




きょうは、
くるだろうな、とおもっていたものが
夢で、さきに
きました。笑

じぶんで
計画するのはやめて
うけとることだけを
祈ってゆきます。


こうしたらいいだろうな、と
直観でおもっても、
わたしは
訓練してる段階では
その直観も
聖霊という
ほんとうのわたしに
あずけます。

これは、わたしが
そうしたいからです。
わたしには、できない。
だから、お願い、たすけて、と
信頼することを
育てたいのです。

イチローさんは試合という
じぶんへの可能性をひろげるために
基礎練をしますが
それと同じです。
レッスンも、祈りも。
ほんとうのわたしたちを
みてゆきたいから
 
わたしは(迷うことが多いからこそ)
祈りとともにありたいのです。

わたしだけのものではない
なにかがあります。

亡くなった方も
亡くなってないのです。
祈りの最中にその方をよべば
いらっしゃいます。
そして、気づいてくれて、ありがとうと
いってくれます。

愛は
時間も空間も距離もこえてくるのです。


愛に
気づいてほしい存在が
まわりにたくさんいることを
かんじるます。

世界から、わたしを消す
その
瞬間に。

たちあらわれるものを
みせてもらいたくて。

わたしの
予測した範疇を
はるかにこえた、優しい世界。

ゆっくり、みてゆきたいなぁ、と
おもった夜中でした。(^∇^)