あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

『A Course in Miracles』クラスのお知らせ

◯● 『A Course in Miracles』クラスのお知らせ ●◯

私には3つとしのはなれた弟がいます。彼は、私のみたことのない本をおおく読み、趣味で小説を書きます。いまは茨城にいて、この間は新宿で買ってきたというサイン入りの詩集のことをはなしてくれました。詩の著者は最果タヒさん。『よく分からない言葉づかいなんだけど、なんか・・・すごい』と、彼は意外にも、笑いながら言うので、ブログをみせてもらいました。

— 先日、ある方と対談させていただいてこの感覚が「尊敬」だと、思い知った。この感覚はまだ知らなくて、だから名前をつけようと思い立って、それから「尊敬」という言葉にたどりつく。そんな健康的な気づきだった。憧れることやかっこいいと思うこと、そういったものとも少しちがって、それらを越えたところにある「その人がこの時代にいてくれてよかった」という安堵。昔、他者にあこがれるというのは非常に不健全だなと私は思っていたけれどこの安堵は自分自身のアイデンティティを否定したりはしない、とても自然なものだった。ー

『読んだあとに、意味不明なのに、すっとするんだ』
タヒさんの表現を介して、哲学がすきな弟が感じること。それは詩の余韻をとおしても理解できないのに、奥にひびくもの。
「ことばをこえた愛」とは、こういうものかもしれません。
「この時代にいてくれてよかった」という人も環境も、その感覚にわたしはすくわれるきもちでいっぱいでした。尊敬、それ以上の、ものであり、機会をつくってくれた方に、感謝です。

「めぐちゃん、わたしたちは感謝でできていて、
感謝は神在り、ということなの。
わたしたちの自我は愛することはできない。なにかを愛するときは、神がかけぬけているとき。神とであっているときなの」

ストレートに、心に響くCourseも、そして教師の表現も、ことばをつかっているけれど、「共鳴」しているものは、カタチを越えていて。わたしの、聴きたかった音、のようなものがあります。
わたしは、あまり語れるようなことはないのですが、心がじんわりしていると、ことばをつむいでおこう・・・というキモチがわいてきます。(弟と同じですね。)
それは、きっと、ことばをつむぐことを通して、わたしは出逢いたいのです、ほんとうのやさしさと、神と。
矛盾していますが愛や神は、ことばになりきらないでしょう。
なんど聴いても、なんど奇跡を体験しても、それはことばではなく観じた心だけがあるのです。

響いたことは、わたしを道具として自然と延長してゆきます。それは「わたし」というものが、うすまってゆく経験です。そのときに、すべてに「わたし」をかんじれます。いるべきときに、いるべき場所に、いるべき人といる、じぶんのおもう以上の優しさを、たったひとつの愛をみせてくれます。
愛しい幻想をそっとわきにおき、あたえられる恩寵がみせてくれる「ほんとうの現実」という神とのクリエイションを 出逢う方と、みてゆきたいです。

日時
平日 夜
2016/6/13(月)19:30pm-22:30pm
2016/6/16(木)19:30pm-22:30pm
2016/6/23(木)19:30pm-22:30pm
2016/5/28(火)19:30pm-22:30pm

ご参加希望の方は、
megumi.miyamoto.0910@gmail.comまたはコメントにて
ご希望日時をお知らせください。
また、上記以外の日程をご希望の方も
メールまたはメッセージいただけれはお返事いたします。

場所
中野区大和町
野方駅徒歩 12分
参加希望の方に直接お知らせします。

参加費
3000円 お茶・お菓子代をふくみます。
(夕食ご希望の方は500円をいただきます。)

ご予約メール
megumi.miyamoto.0910@gmail.com

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個別のセッション・カウンセリングはこちらを(https://live-in-the-present-meg.amebaownd.com/pages/231361/page_201512101821)ご確認ください。


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photo by 松澤 いずみ ちゃん

いつも、ありがとう(^ν^)