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あること。いまを、いきること。ー another room

『一緒にいてくれてありがとう。』豊かで恵みあふれた世界をみるために、A Course in Miracles(奇跡のコース)を通したクラス、 セッションにて うちなる教師(医師)を育てています。

なぜ泣いているのか、わたしには分からなかった。

タンポポ小道と、

雲一つない青空の下で…

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蜂さんが、たくさんいました。

さされませんでした。

 

 

坂の上にある、玉造おばあちゃんちの、

その坂のとなりには

この写真のように

草やタンポポの生い茂るところがあり

そこではピクニックと称して、お昼ごはんを

たべた、小さなころの記憶が

うっすらとあります。

 

どんな家族関係だったの?

恋愛はどうだった?

と聴かれても

「・・・えーっと。。」と

とまってしまうのは

あんまり覚えていないからです。

 

 

どこかに出かけたときのことも

最近では、ごっそり、

ぬけていることもあります。

 

ただ、人や環境のあたたかさや

優しさだけは

ずーっと心に残っているのです。

覚えている、というより、

思い出して、わきでてくる、ような。

 

 

「じぶんは、どこにもいない」

だから

「ほんとうのわたしは、どこにでもある」という

courseの

その教えに、

その輝きに

ものすごく惹かれているのも

感じます。

 

 

 

わたしの、「わたしらしさ」。

それは、柔軟にかわること、

でしょうか。

まわりに、合わせようとしているのではなく

自然に、そう、なってしまうところを

「よきことに、つかってください」と

おもうばかりです。

 

変わってゆくじぶんに

「どうしよう」と

揺らぎがあることも、あります。

(愛以外は、断固としてNOといいます。

Noということも愛だというのを教わって心は楽になりました。)

 

 

個人の「わたしらしさ」が

「自我」を

「わたしだけが、わかっている」を

助長させていることもあるでしょう。。

 

わたしも、頑固で、真面目だから。

よく、間違ってしまったなぁと反省します。

(忘れて、また、間違うから、こりません。

こりずに見守ってくれる教師に、感謝です。)

 

その頑固さを

「愛」につかってもらうことを頼むなら

どんな、未知の「わたし」に

出逢えるのでしょう。

 

 

また、その「わたしらしさ」すらも

すーっと

溶かしてほしいと願います。

 

みえない存在も、

感じながらいれる。

これは、その、子どものころに

かんじた「不思議な世界」の感覚です。

 

そして、ほんとうに、いろんなことを

やってくれている

その存在に、ただひたすら

ありがとうの思いです。

 

 

聖歌隊のときに、歌っていたら、

その歌を聴いている方が

泣いていました。

わたしには、なぜ泣いているのか

わかりませんでした。

いまになって、なんとなく出て来たものは

存在の確かさは、救いなのです、きっと。

 

 

わたしは、

ただ、ただ、「知らなかった」と「ごめんなさい」と

泣く自分をみるたびに、

期待にこたえられない自分という

幻想をゆるす(もとに、愛にもどる)たびに

「いいよ」と

言われる気がしています。

 

 

自我の妥協で、透明さを

えらぶのではなく、

愛が愛をとらえる、

そのしなやかさが、わたしを

透明にしてくれる。

 

このことに

いつも、感謝です。