あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

「すべての思考は すべての人のための祈り…。」

10年ほどまえ、

『「井の中の蛙、大海を知らず」って知ってるか?』

と父方の伯父さんに聴かれて

え・・・? カエルって、海、泳げるの??と

こたえると

『おまえは、馬鹿か・・・「馬鹿」ってかけるか?』

と言われました。

 

伯父さんは、わたしが生まれてから14年間、

ずーっとお話したことがありませんでした。

家の近くに手作りの小屋があり、そこで彫刻のお仕事を

していることは、小さいながらにわかりました。

「話してみたいけど、なんだか、怖そう」と

雰囲気がアーティストだからか、

こちらから声をかけることはありませんでした。

 

そして、わたしが中学生のころ

おじいちゃんが亡くなり、お葬式の手伝いを

一緒にやってから、普通に話すようになりました。

 

 

伯父さんは、彫刻家です。(たぶん)

部屋は墨の香りと本にあふれていて

よく、『めぐ、これ読んでみろ』と

本をくれました。

このまえ、弟にもその本を貸したら

「この本、いま買うと、古本でも15000円だよ」と

教えてもらって、2人でビックリしていました。

(「ことばへの旅」という森本哲郎さんの本。)

 

 

中高当時、「地理」と「歴史」が苦手なわたしは

伯父さんによって、特訓が毎晩のようにありました。笑

『日本の三大庭園は?』

・・・なんだっけ?

『このまえ、いったばかりなのに・・・』

 

こうして、育った(?)わたしです。

共働きだったので、

おばあちゃん家にいることもおおく

伯父さんとも、

お話したり、バドミントンしたりもしていました。

 

年齢や立場関係なく

どことなく「同じ目線」で、

「対等」に、やりとりをしてくれていたことが

うれしかったのだと、

いまは感じます。

 

そして、いまも、

「これは、知ってるか?」と、

・・・先生と呼びたくなります。

 

 

 

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「すべての思考は

すべての人のための祈り…。」

これを、どこかで、みたときに

なんだか、ふんわりと

祈られていることをかんじました。

知らない方にも、遠い方にも。

 

いつも、そのことを忘れないように

みれるように・・・聖霊

助けてもらっています。

そうしたら、こんな風にかえってきました。

「はなれてはいるけれど

力になっている。

だから、ほんとうには

はなれてはいない、と。」

 

 

 

「馬鹿だ、馬鹿だ」と

伯父さんに言われても

伯父さん、いい人だなぁ・・・と。

ふだんは忘れているのですが

おもいだしたので、打ってみました。

 

カタチをこえて、

ことばをこえて

力になっている。

 

 

 

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エゴにおいては、

すべての人は自分より優れていてほしいし

自分より劣っていてほしい。

エゴは都合によって、気分によって、

相手を崇拝したり相手を見下したりするのです。

『聖なる関係』とは何だったか思い出してみてください。

エゴではない、スピリットでつながる関係では、

時に助けたり、助けられたりするのではなく

つねに、共に助けられている、共に救われているものなのでした。 

エゴによる関係、エゴのみる、『特別な関係』においては

エゴの都合に相手があっていなければならず、

しかも、それはまずあり得ないことなので

私たちは相手に対していつも怒っていなければなりません。

あるいは悲しんで、または絶望、心配していなければなりません。

すでに、相手こそが自分の安全を守るものと信じているので

自分が脅かされているという感覚自分が

安全でないという想いは

相手のせいになってしまいます。(『奇跡のコース』のワークを学ぶガイドブック7 永遠の生命)