あること。いまを、いきること。ー another room

『一緒にいてくれてありがとう。』豊かで恵みあふれた世界をみるために、A Course in Miracles(奇跡のコース)を通したクラス、 セッションにて うちなる教師(医師)を育てています。

繊細な感受性のなかに、隠されたもの。

先月、茨城のおばあちゃんに会ったときに

散髪屋さんでのシャンプーが

とっても気持ちよくて

好きなのだとききました。

 

シャンプーではないけれど

ヘッドセラピーならやるよ、と

その場で、座布団をならべ、1時間ほど

ヘッドセラピーをしました。

 

ヒーリングは、

治そうとするのではなく

その方の完璧さを、みれていないわたしが

みれるように、一緒に

聖霊(という、ほんとうの私。宇宙。)

に助けていただくために

行う、とても、神聖なもの。

 

そのときに、

かんじたものは

ああ、ほんとうに、どんなわたしでも

ゆるされたかったのだなぁと

でてきました。

 

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話が飛びますが、わたしは

心底しんどくならないと

人に頼ることを

しませんでした。

 

そして、話し始めると

支離滅裂で、笑

ただ、泣きながら、

抑えていた感情が溶けてゆくのを

観てもらっていました。

 

これが、周りの方には

自然災害のように

なっていたことでしょう。

復興が

たいへん。

 

聴いてくれて、ありがとう、と。

ごめんなさい、、と。

 

 

その昔、わたしは、駄々をこねて

わたしをおいて

仕事に行かないでほしいと

両親と

また、シェアハウスの家族とに

いったことがあります。

 

両親の場合は、ごめんね、で

引き離され、保育園や幼稚園に

泣きながらいたのですが、笑

 

シェアハウスの家族のときは

眼をむけられ、

心から話を聴いてもらって

悲しむなら、行かないよ

と言われた気がします。

 

だけど

わたしは、目の前の人の

かがやく姿も

そのさきに分かち合える幸せも

奪いたくなかった。

かなしんで

ほしくなかった。

遠くからでも

よろこびを、みたかった。  

 

なので

 

聴いてくれて、ありがとう、と

泣きながら

送り出した覚えがあります。

 

 

どちらも、幻のなかに

留まるわたしが

感情が暴れ、行動も、ことばも

ナイフをもった子どものように

どうしようもなくなるのを

みていました。

 

わたしの、脆くて

拙くて、あぶない繊細な感受性で

いちばん苦しんだのは

自由をあたえていなかったのは

ほかでもない、

わたし自身でした。

 

そして、それを持っていてほしい

きちんと使ってほしい、そう

頼むようになりました。

聖霊に。

 

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話はもどって

ヘッドセラピーをして

放心状態のおばあちゃんは

その夜ぐっすりと眠れ

また、それから、じぶんでも

アタマをマッサージするようになったと

聴きました。

 

そして、かかりつけのお医者さんから

前来たときに腫瘍があったところが

なくなっていますと

言われたよ!

と、おばあちゃんは

びっくりしながら、

わたしに、お話してくれました。

 

神様にも、感謝だね、と

笑いながらいました。

 

きっと、腫瘍が

なくならなかったとしても

わたしは

あのとき、おばあちゃんと

いれたことで溶けていたものが

あったともおもいます。

その、意味は、忠実に

わからなくとも。

 

 

なにかを、じぶんのダメさ加減を

受け入れることは

とても、こわいことです。

できれば

認めたくない…です。

 

ですが

ほんとうにこわかったことは

どのようなわたしたちでも

愛されている、という

その声を

景色を、音を、風を

呼吸を

うけいれること だったのかもしれません。

  

 

繊細な感受性は

世界に光を延長するために

つかわれ、むしろ、

そのためだけに

授けられて、ここに、あるのです。

 

そんなに、じつは

真面目ではない

ほんとうは、すごく、ダメさ満載で

頑固で、頑なで、

懺悔のような。

 

わたしからの

わたしへのお手紙。

 

 

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