異世界のようなカフェで。
世界には
どこまでいっても
わたし がいて
走りつづけても
止まっても
うまく
かえせなくても。
神様は
いつも
待ってくれていた。
そして、ゆっくり見渡すと
そこかしこに
みたされている
おおきな空気に
気づかされる。
この瞬間に
おとずれる世界。
草木の寄り添う席で
水槽のコポコポという音と
コーヒー豆を
ガーッとひくおと、
床のミシミシと聴こえてくる。
本をめくる音も。
カフェの席、一番後ろに座ると、
とたんに
わたしは学校という場所でも
一番後ろだったことを
おもいだす。
クラスぜんぶと、
校庭をみわたせる。
だれにも、みられないから
安心して
なんでもおもえる。
寝ていてもバレない。
カフェの
その席には、訪れた人たちの
ノートへの書き込みがあった。
人生のこと、ここの
カフェに
ずっと来たかったということ。
恋愛、仕事、人間関係のこと 。
だれでもみれるノートに
だれにも言えないことを
書ける、その空間は
そこにいるものたちによって
ひっそりと
見守られている。
そういえば、
カフェにくるまえに
熱心に弁天様に
お願いごとをしている女性たちがいた。
それをみているときと、
ここに書かれたノートを
みているときの
わたしの心は
似ているかもしれない。
ふと、カフェの
本棚をみたら、読んでいて
落ち着く、ばななさんの本があった。
本は、好きだけど
複雑な文章は
理解が苦手で
読み進められなかった。
ばななさんの文章は
理解しなくても
いいよ、と言われた気がして
わかるところだけ読んだ。
感じるキモチの、その奥に
まだ出会えてない、出逢いたい
わたしがいる。
だから、安心して
みてゆけばいい。
ことばが
感情が
空気にとけてゆき
不甲斐なさに
涙で、なにも言えなくても
その音は
自然と、聴こえてくる。
*
ダブルマインド
ということばがあります。
わたしは、このダブルマインドを
自覚して、ほんとうの
シングルマインドに
もどりたくて、よくノートに
感じたことをかきます。
わたしが、わたしのために
表現をするのは
それほどまでに
抑圧してきた
感情や考えがあるからです。
そして、ひとりよがりではない
表現をしりたくて
おさえてきたのかもしれません。
もちろん、いまだに、未知です。
経験談を書くと、つねに、暗い文章に
なってしまいそうで…笑
いろんなおもいと、経験という
わたしの自我を
材料として、道具として
聖霊に、つかってもらうことを
頼んでます。
わたしは、じぶんの絡まっているものを
解きほぐすことが
わりと苦手です。
(おそれが多くて、みえないのです。それもまた、ゆっくり、ふかくもぐってみたら、そんなものはなくて、あるものは、ただ、愛というやさしいつよさ、神をよぶ声でした。)
待ってくれて、
いつも、ありがとう…。