力みなく
流れるように。
そうしきれないときは
一旦とまってみて。
心のなかに、すみわたる朝陽を
かんじれたら
五感も、きりかわっていて
その状態でみる風景は
ぜんぜん、別格。
*
真ん中にある
ということよりも
「もっとこうしておけばよいかな(周りのために)」
と、ふらふら〜っと「しすぎて」しまう。
もしくは
心の奥と、一緒にとりくむことを
わすれてしまう。
そういうとき、わたしは
なにかが割れたり、なくなったりします。
鏡とか、グラスとか・・・。
最近は
お父さんのかったばかりの
ワイングラス(すごく吟味して買ったときいたもの)
を、そんなに触っていないのに
割りました。
べつなこと(気にかかること)を考えながら
洗っていたら、あっけなく、われました。
買ってからほんの数日で^^;
「あちゃ〜ものすごく、言われそうやぁ」と
おもったのですが、さして、言われず。!
それのおかげで(というのも変ですが)
固定していたお父さんへの
イメージが、滝にながれるかのように
さぁーっとながれていきました。
もう、大分、長い間
固定していて
錆び付いていた感じだったので
新鮮です。おなじく、わたしの中の錆も
すっきり洗い流されたかのような。
肉眼でみるものは
流れてゆくし
すぎさってゆく。
でも
それが「象徴」されるものなら
ゆっくりとみたり
きいたり
かんじれたら
永遠に浸透してゆくものは
たしかにある。
*
朝の瞑想は動的な瞑想の
ひふみ体動のおかげで
静かな瞑想が、より深く、静かにできました。:)
遠隔チリさん( ´ ▽ ` )#ねこと#ビデオ通話#毎日の#癒し
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