椅子があったらいいね、もうひとつ。
というお話を直人くんがしていました。
この椅子には、何の意味もありません。
わたしが、椅子につけている、
これまでのイメージや
おもいによって
源から、ふんわり湧いてくるものを
うけとらないようにしているのです。
源の愛を、感じるなら、
固定されたイメージは、脇におかれます。
蓮さんの帽子🧢にも、
二度目になくなったとき、わたしのなかで、
あちゃーと思い込んでいました。
ひとつは、直人くんに預けたとたんに
なくなる帽子🧢。
ひとつは、子どもの帽子でも、
気に入っていたもの。
ひとつは、思い通りにいかない感覚。
すべて、作り出したおもいで、
うけとれる奇跡を、
見逃してしまっていたのです。
すこし、ひとりになって、2秒祈ってから
直人くんは、こういいました。
また、責められると、おもったんだよね。
だけど、責めているのは、僕が
僕のことを責めているのかも。
だから、あずけたよ、と。
なくなった帽子も、みつかった帽子も
それを、奇跡の道具にするなら
call for loveが透けてみえてきます。
そして、call for を、
いま、スピリットと聴いてゆくなら、
ほんとうに、残るものしか、
残らなくなります。
意味を
押し付けない。
分析しない、ふんわり、ながめる。
楽に、かろやかに。
loveだけが、感じられるのです。
神さま、スピリット、
きょうも、わたしのつくりだした考えを、
その奥にある完璧な愛、優しい気持ちを
奇跡の道具に使ってくださり、ありがとう😊
感謝が、自然とわかないとき、
わたしたちは、とても我慢をして
じぶんを、相手を、責めてきました。
あなたは、どんなおもいをもつ、わたしを
等しく大切にしてくださっています。
わたしもまた、どのような自分も、
肯定し、あなたが
奇跡の道具としてつかってくださり
完璧な奇跡の体験を、与えてくださっていますことに、心から感謝します。
いつも、いつも、ありがとう。