文章も、心の眼でみること。
蓮さん、寝ません…!
珍しく、何度も起きてしまいます。
熱があるとき、昼寝も、しにくくなるみたいで、、体温をはかってみると
やはり、微熱でした。きょうは、お家で🏠ゆっくりします。
◯
文章の添削は、わたしは苦手なので、と直人くんに話していると、文章の、てにをは、の部分ではないところ、その人の熱意のような…根底のところなら、観るの得意なのでは?とかえってきました。
そんなフィードバックをいただいたので、
偶々(偶々というものはなく、本来、届いているものをしっかりと、みた)、
文章をみて、フィードバックをほしいと、友達に言われたので、蓮さんの寝ている間に、行ってみました。
ですが…
わたし自身、苦手な読み物はあります。
たとえば、
自分以外のものを否定して、ここにあるものを肯定する、というアプローチなどは、どうしても、あまり読み進められません。
心を、スピリットに置いておくのを忘れると、分離感のある文章に感じてしまうので、そこをみている自分を訂正しながら、一体なにが本当に伝えたいことなのかを、見抜くのにも、時間を割いて、心でみることをしてゆきます。
うまくいく、ということを求めて、または、問題を解決することにフォーカスして、かいているものは、違和感しか感じないのですが、
そのようにして、サービスやモノを売り買いする体験も、大切です。そして、わたしの感じる違和感も、大切です。
あらゆるものごとの、表面に、惑わされないこと。なによりも、そこに流れている繊細な意図を、感じること。
心の奥は、スピリットである、わたししか、わたし達しか、いないのだから…。
わたしの苦手な読み物でも
とても心のあたたまる読み物でも
大いなる存在は、どちらも、大切にしている。
だから、わたしも、苦手な読み物の、その奥に触れることだけ、してゆこう、
その心にもどった祈りをしたとき
わたしは、とても落ち着きました、これが奇跡なのだとおもいます。
そして、そのあとに体験したことは
なんと、読み物を書いてくださっていた方がフィードバックをもとに、徹夜で、
文章を書きなおしてくださったのです。
そこには、その方の、良きものを広げてゆきたい、という純粋な気持ちそのものが、かかれていました。
わたしも、わたしの心の訂正のために、フィードバックのことを、聴いてくださったことに、感謝です。
引き続き、心から、その方と、かかわる方の文章と、光をみてゆきます。