あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

「受け取るという決断は、受け入れるという決断」

「受け取るという決断は、受け入れるという決断」

 

兄弟、つまり目の前の人の無限性を

裁くのと同じように自分の無限性を裁き、

目の前の人の無限性を受け入れるのと

同じように自分の無限性を受け入れる。

 

時間の中では、与えることが先になるが

与えることと受け取ることを分離できない永遠の中においては、これらは同時に起こる。

この2つは同じだとわたしが学んだとき、時間の必要はなくなる。

 

毎分、毎秒、わたしに自分自身を救う機会が与えられている。

平安のなかにとどまろうと決断するときに、わたしはそこにとどまる。

だが、アトーメント(ゆるし)を受け入れなければ、

わたしは平安の中にとどまれない。

 

自分自身を愛のない存在だと観ることをえらぶなら

わたしは幸せにはならない。

この力不足という感覚から逃れるために

わたしは自我に頼ろうとするのだが

その感覚は自我が自分で生み出したもの。

 

自我は真の質問がなにかをしらない。

聖霊はわたしがもっている信念のひとつひとつを

それがどこからきているのか、という観点から判断する。

それが神からのものであれば、

聖霊はそれが真実であると知る。

 

あなたが自分の価値に疑いを抱くときにはいつでも

次の言葉をいいなさい。

 

わたしがいなければ、神、世界そのものが、不完全である。

 

この観点から、自分がなにを望むのかを選びなさい。

神に捧げたいと思えないものは、何も受け入れてはならない。

それ以外には、あなたは何も望んでいない。

あなたという一部を神にかえしなさい。

 

 

最初はじぶんのきもち。

だんだんと、じぶんのきもちがおさまっていくと、

全体のきもちを

かんじとれてくる。

だから、まず、じぶんのきもちのすべてを

つかっていく。

 

ゆるし、とは、オッケーをだすこと。肯定する力。

素直にこう感じているなぁ、と受け入れる。

それは違うんじゃないかなぁ、とおもってみる。

損してもいい、

めんどくさい、とおもってもいい。

 

 

そんな風に、おもってる。