あること。いまを、いきること。ー another room

『一緒にいてくれてありがとう。』豊かで恵みあふれた世界をみるために、A Course in Miracles(奇跡のコース)を通したクラス、 セッションにて うちなる教師(医師)を育てています。

ちょっと壁にあたってみた。

がっくり、くるようなパソコンからの文字があって

そのときに、

「なんにもわかってないのに、いわないで!」と

小さなころ、大人に思ったことが

浮かびあがってきた。

 

 

「なんにもわかっていない」のは

わたしのキモチを、

わたしが、わかっていないのだろう。

 

だとしても、悲しかった。笑

 

 

みたいように、物事をみて、判別し

「だから、うまくいかないんだ」と

決めつけられる。

大人ではなく、自我の世界。

 

 

どれだけ、待ったのか

どれだけ、ここまできたのか

お金ですべてが解決することなのか。

どうしたらよいのか、それが

わからなかった。

 

 

文字の羅列に

悲しんでいるのではなくて。

 

わたしの知覚が、たんに、まちがっている、としたら。

 

 

細やかな部分や、サポートしてきた

大変さ、周りとの調整のことなど

ぜんぶ、ぜんぶ

自我によって「なかったこと」に

されるのが悲しかった。

 

 

 

そこに、光が、あてられないことが。

 

 

じぶんのダメとみているところに

光をあてよう。

その光があたっていることを

おもいだそう。

 

 

 

ダメなままでもかまわないから。

 

ダメなんて、一方から、もう一方をみている

狭い世界から、ぬけだそう。

 

 

起きたことを、傷つけることに

つかわなくていい。

 

あなたは、待った。

あなたは、よく、待った。

もうかかえこまなくていい。

 

 

 

うけいれて、ながしていくことで

どんなこともプロセスだと

笑い飛ばせるように。

 

 奇跡は思考です。そして、恐れもまた、同じ思考なのです。

その恐れの思考が、「原因」となって、恐れの経験という「結果」があらわれます。(ほんとうは、厳密に原因、愛しかないのですが)

 

恐れという分離の思考が、真の自己、つまり愛の思考へと

訂正されたとき。

あなたのまわりに、愛をたずされた人が、必ず現れます。

相手との分離感のある思考は、わたしと真の自己との

分離感のある思考をもっていたことを気づかせてくれた、鏡です。

わたしの中の愛(神)との分離をしていたことに

気づかせてくれた、鏡です。

ですから、分離感こそが、

愛という本質に気づけないわたしたちへの、すばらしい教師といえます。

 

つながっている、たったひとつの愛に気づき

つれていってくれる、名教師。

 

このわたしの恐れの分離という思考の名教師に、

深い感謝の気持ちと、慈しみの気持ちをもてたとき。

 

分離は幻想であり、つながっていたことを体験します。

確信します。

そのとき、わたしたちは、必ず愛を体験します。

くりかえしますが、愛へと訂正された思考が「原因」となって

愛の経験という「結果」があらわれるからです。

これが、的のあった、真のほんとうの「ゆるし」です。

 

A Course in Miracles ワークショップ「恋よりも愛の時代」資料より。