あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

臆病と繊細。それらもすべて、否定しない。

わたしは、どちらかというと、

「超」がつくほどの臆病です。

(わたしの自我は、といってもいいです。)

 

 

その臆病さも、

「どうしても、こっちと言われている気がする…」

とほんとうの声(聖霊)にふれると、

とたんに

かいてみたり、

ひとりで海外にいったり

単独行動も、します。

 

この「臆病」なところに

眼を向けすぎると

「ほんとうの声(聖霊)」の存在をわすれます。

 

 

忘れていても、一度でも、「お願い」と

頼むと、その声と、働きは

想定以上のものをみせてくれます。

反対に、

頼まないときは、ずっと見守ってくれます。

 

 

むかし、ひとりで、犬の散歩をするとき、

よく空を見上げながら

「これのこと、神様、お願いします」と

とっても

「的のはずれた」お願いをしていたのを

おもいだしました。

だけど、お願いをする、

というそのキモチを

聖霊は、みていてくれたのだと

いまはおもいます。

 

 

繊細さを、「つかってほしい」と

あずけたあとに、観じるものは

『ことばが違うだけで、根底は同じ』というものでした。

わたしは、農耕型の教師と

狩猟型の教師をみたことがあります。

(農耕と狩猟のことは、パウロさんの本にもありました。)

 

そして、一見すると、ミーティングなど、

こちら(わたし)からみると

『同じこといっているのだから、仲良くしようよ』

とおもいました。

 

だけど、うまく

言えなくて、わたしは

じぶんの臆病さや、うまくまとまらないのを

自分の力不足だとおもっていました。

 

おおきく、ふかく、うけとるなら

この『まったく、真逆のものが、わたしのなかにもあるよ』

と教えていただいた機会だったと

かんじています。だから、統合すべきは

まずは、わたし自身だったのかもしれない、と。

courseでも いましかない、

と いわれてます。

いまは、時間が存在するまえから、

存在していて このなかに、永遠があり、

すべてのものがあり それらはひとつです。

過去によって 断絶されてません。

そして、過去はどこにも存在しません。

わたしは、これをみたときに 過去どうだったかを、

いまみるようにして いまのなかで、

やさしく眺めるだけに なりました。

 

 

 

繊細なところがある方は

その繊細さを臆病なじぶんを、 否定しないでください。

あなたに見えているところにも

神の気がかりが隠されています。

 

そして、そのものが、正しく

聖なるものに、

使ってもらえるよう

あずけてみてください。

じぶんひとりで、やっているわけでは

ないのです。必ず、となりに、います。

あなたを守ってくれている存在、

もうひとりの あなたという聖霊が。

 

じぶんが、なんとかすること以上に

じぶんも道具となって、

「体験したかったもの」を

観じられるようになると、わたしはおもっています。

 

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ヴァルキリーズ、よみました(^ν^)小説は、読めるものと、読めないものとがありますが、体験に基づいているこの本は、読めました…! エピローグにあるお話、力強かったです。(^人^) #パウロコエーリョ #カピバラさんと一緒 #久々の読書

 

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