浸れる空間に。
ふと、聴いたことを、おもいだしました。
個人的な、わたしだけのおもいは存在しない、みんなが実はしっていること、分かち合われるものだけが存在する。
そのように、あるものがみえてくる。そこに、優しさだけがある。
光は、眩しくて、目を閉じそうになるけれど、迷わずに、そこで、魅入ってゆきたいものです。それだけをしてゆきたいです。
そのような、わたしの、いいなぁというものも…どんな風に、それが、全体の喜びに使われてゆくのかが、たのしみです。
わたしがぼーっと、そして、黙って子どもを、みていると、疲れているように見えるみたいです。わたしは、話していないだけで、心の中では話しかけています。たまに、じぶんの不甲斐なさを見そうになるので、そのときは、、預けつつ、そっと憧れの空間に、浸りにゆきます。
言葉になる手前の、空間に。
いまは、浸りにひたって、祈っています。これまで、出会って来た方のことを。
それは、わたしの慣れてきた言語と過去を、愛に、奇跡に、昇華させるかのようなものです。
きょうもカフェで、読むと心がふわっとする本を読んで、スピリットの感覚を、思い出させていただきました。毎回忘れてしまうけれど、それも、また、毎回思い出せる楽しみになります。
好奇心のかたまり…自由に、触れていってね、とおしえてもらっているようです。
その好奇心、いいなぁ、とおもいます。
蓮さん、ここ、電車内ですからお静かに。笑