問題に対する見方が、かわってゆくときに。
シャボン玉をとばして…お昼に
ほっとするひととき。
シャボン玉をみとどけるまで、やる事に追われないで、しっかりとみて感じられることができて、感謝でした。あれこれと、先を見過ぎていると、みおとしてしまうものです。
せっかちなわたしも、おっとりなわたしも、
ちょっと一呼吸。
きょうは、ヒーリングのことを書いて
忘れようとおもいます。
祈りからはじまるヒーリングで…
わたし自身も、ほんとうに、問題や課題の、真の姿をみていないのだなぁと、かんじます。
肉眼でみているときは、不安や心配だけがみえて、それに対応しようとします。
心の目で、祈りの中で、わたしたちをみるとき。
一切の問題や、モヤモヤは、カモフラージュで、その問題を大切にあたたかさに溶けるまで見届けると、ほんとうの見てほしい姿を、みせてくれます。
もう、それは、どの方も、文章からでも、出てきている
エネルギーで…。
それだけを、みているなら、
なんといったらいいかも。わからないほどです。ただ、ただ。言葉にならないもどかしさを、波が帰ってくるように、わたしも言語を与えてもらう、感覚です。
なにも、解決になっていないように見えたとしても。
たしかに、わたしはスピリットとの祈りの中で、目の前の方のスピリットを見たのです。
それだけしか、はっきりと、わたしたちの 扱いきれないエネルギーを どうつかってもらえるのかが、わかります。
はっきりいって、わたしには、分からないからです。
ここにある素質は、自我に使ってもらうのではなく、大いなるものに、つかってもらう。そのことに、感謝を、いま、したいとおもいます。