あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

カフェオレをもらって感動したこと。小さくても大きな1歩。

最近あった、大泣きしたことを、かきます。

そのまえにCourseのことを少しかきます。

https://www.instagram.com/p/BKs5cU0Dk1H/

夜の新宿。都会のあお。2年まえに予約した新宿三丁目にあるスコップカフェで個展をします。個展では、3人くらいだすのかな。わたしはアマちゃんですが、デザイナーさん、アーティストさんの作品もみられるので、たのしみです。心がふーっと解放される写真ときゅんっとなる写真とを飾ろうとおもいます。#個展#新宿

 

 

真理はただ在るのみ。ですが、

知覚(見たり、聴いたりすること)の世界には、

時間、変化があり

解釈にもとづき、

まったく事実にはもとづいていません。

かつ、見たり、聴いたりするものは、

そうであるかのようにみえます。

その理由は

ご自身の願望に一致されたものが

自覚されるからです。

(たとえば、誰かから、あなたは、それは向いていない、やめなさい、といわれて、

そうだなぁとおもうとき。心底、変で、それはダメとおもっているのは、わたし。)

 

 

聖霊は、知覚の世界から、わたしを

たすけてくれます。

幻である、この知覚や解釈のことも、

しっかりみてくれるし

神や愛という「みえていないけれど、たしかにあるもの」

を感知しています。

その橋渡しをしてくれているのが

神の声、聖霊です。

 

聖霊の目的は、

わたしたちの思考(おもい)を

ひっくりかえし

べつの見方をみること

学んできたあれこれを、白紙にもどすことだそうです。

「赦し」というのも、宗教的な意味ではなく(その訂正もかねて)

「ほんとうの、ゆるし」をしてゆくのです。

 

そして、聖霊からみれば、罪は、悪ではなく

訂正され、整えられるべき間違いだと

いわれています。

 

 

こんなにも優しい音は

わたしには初めてでした。

 

 

「また、ダメかも」

そのキモチに出逢うたびに、わたしは

同時に

この音をおもいだしました。

 

最近、夜の大通りを、ぽとぽとと

歩いていたときがありました。

 

わたしにとって

「わたしが、わるかったんだ、間違っていた」

「なんで、うまくやれないんだろう」と

かんがえるほどに

たちあがれなくなる感じがあり

それを、心の奥にあずけていました。

歩いて、怒りが、溶けてゆくと

「そうですね、あなたは、わるくない。」

と聴こえた気がしました。

わるくない?

そうはいっても、

いつもと学んでいることと

違うから・・・と最初は、抵抗しましたが

そのことばを投げかけられて、

おもいながら、さらにあるいていると

自然と泣けてきました。

いつも塞ぎこんでしまう、わたしを

聖霊は、奥にいるわたしは、しっていたのです。

それから、ひとしきり泣きました。

わるくない、と伝えながら。

 

そして、心が、さらに呼応します。

 

携帯しかもたずに、歩いていたので

喉かわいたなぁとおもっていたときに

「あの、これ飲んで元気だしてください^^」

と大好きなカフェオレを、

知らない男の子から(!)

いただきました。

わたしは、たったそれだけのことで

号泣してしまいました。

それは、見ず知らずの男の子の優しさにふれて

わたしも、こうありたい、とおもったのも

そうでしたし

「あなたは、だいじょうぶ」と

伝えられた気がしたからです。

それは、ききたかった声でした。

 

このこともあって、また、友だちにも

すすめられて

カウンセリングセッションも、クラスも

小さくてもやってゆこうとおもえましたし、

より深く、かろやかに

奥にある「声」に耳をすますようになりました。

 

 

だから、あの、神様からお使いを頼まれた

カフェオレの男の子には

毎日、感謝なのです。

 

 

きょうも、ここまで、読んでいただき

ありがとうございました。

あたたかな出逢いが(それは、じぶんのキモチとの出逢いも)

日々届けられますように。

 

 

 

 

the-world-of-silence.hatenablog.com

 

プライベートセッション(個別のカウンセリング)を

行っています。

10/15から3ヶ月ほど、茨城(玉造)でも活動をしています:)