この音は、なつかしくて、あたらしい。
お腹をいためて、発熱をして
まったくうごけなくなると
さらに研ぎ澄まされる感覚も
ある。
https://youtube.com/watch?v=iZ-c3M2aKsM
近所のおばさま方は、
和気あいあいと
お話しながら
その話し声が
まさか、わたしに聴かれているとは
おもっていないだろう。
声色は、たしかに、あって。
そんな風に
神様も、わたしの声を
聴いているのだとおもう。
ふだん、していることが
より有難くも感じるし
そしてまた、この中にも
たくさんの贈り物がとどいてくる。
わたしは、漫画も本も
すすめられたもの以外、あと
本屋さんでチラッと観てパッと
買いたくなるもの以外
あまりみてこなかった。
だから、お友達にすすめられた
ある3つの作品は
どれも、わたしの日常を柔らかく
そして肩の力をぬいて、その眼で
みてみたら大丈夫、ということを
おしえてくれた。
前にも、インフルエンザで10日間寝込んだ
ときにおしえてもらったアニメも
とても、とても、たすかって。
なつかしい。
小さなころ、肺炎で入院しても
お母さんは毎日小さな絵本を
病院のお店から買ってきて
それを読んでいたときの感じと
似ているからかもしれない。
だから、あのころの、じぶんにも
家族にも、優しさをありがとう
とおもってゆくと
だんだん、お腹のウイルスくんたちも
和らいでゆく。
僕ノート
(じゃなくて、少年ノート、でした!笑)
これがおしえてもらった3つ。
うえ2つは、
日常のやさしさに
包まれる感じ。
よつばと!は、クスリと笑える。
僕ノートは、
合唱とかわりゆくもののことと同時に
音にかこまれた、繊細な心模様がある。
どの登場人物のキモチも、
わぁ、、それあるなぁと感じるもの。
濁ってる音、ギザギザの音、
ザワザワする音
それらが
聴こえるときは
わたしが世界から手を離して
いる感じ。
よく耳を澄ますなら
全て、愛の音、やさしさの音に
聴こえる。
たとえば、ゴーゴーと
環七通りの道路が
滝の音のように。
ちいさくても、その声は
たしかにあって
聴こうとしなかっただけ
それだけだった。
わたしたちの奥底にある
聖霊は、性別も、職業も、資格も
ことばさえも
すべてをうしろにおいて
わたしをみている。
奥底のわたし、
聖霊のみる世界は
いつも、なつかしくて
あたらしい。