あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

割れた高価なワイングラス。流れてゆくもの。

力みなく

流れるように。

そうしきれないときは

一旦とまってみて。

心のなかに、すみわたる朝陽を

かんじれたら

五感も、きりかわっていて

その状態でみる風景は

ぜんぜん、別格。

 

 

 

真ん中にある

ということよりも

「もっとこうしておけばよいかな(周りのために)」

と、ふらふら〜っと「しすぎて」しまう。

もしくは

心の奥と、一緒にとりくむことを

わすれてしまう。

 

そういうとき、わたしは

なにかが割れたり、なくなったりします。

鏡とか、グラスとか・・・。

 

最近は

お父さんのかったばかりの

ワイングラス(すごく吟味して買ったときいたもの)

を、そんなに触っていないのに

割りました。

べつなこと(気にかかること)を考えながら

洗っていたら、あっけなく、われました。

買ってからほんの数日で^^;

 

 「あちゃ〜ものすごく、言われそうやぁ」と

おもったのですが、さして、言われず。!

 

それのおかげで(というのも変ですが)

固定していたお父さんへの

イメージが、滝にながれるかのように

さぁーっとながれていきました。

 

もう、大分、長い間

固定していて

錆び付いていた感じだったので

新鮮です。おなじく、わたしの中の錆も

すっきり洗い流されたかのような。

 

肉眼でみるものは

流れてゆくし

すぎさってゆく。

 

でも

それが「象徴」されるものなら

ゆっくりとみたり

きいたり

かんじれたら

永遠に浸透してゆくものは

たしかにある。

 

 

 

 

朝の瞑想は動的な瞑想の

ひふみ体動のおかげで

静かな瞑想が、より深く、静かにできました。:) 

 

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遠隔チリさん( ´ ▽ ` )#ねこと#ビデオ通話#毎日の#癒し

 

 

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関係性の中で光だすもの。 

桜の木をみるとき

根っこは土の下に隠れて

みえないけれど

そこを観ようとすると…

木をかんじられますよ、というような

ことが、aiaoiでみた呼吸の本に

あったことを思い出しました。

 

 

奇跡は関係性の中で

光だします。うまれていって

つらなってゆきます。

 

頭におもいうかぶ思い

というのかな、それは

分離で。

もしくは、その言い回しだと

きついなぁというときは、

料理の材料のように

奇跡の道具のひとつになってゆきます。

 

どんな思いがあるのかを

よくみること、

時間をかけてよいところです。

 

4/20の瞑想会を企画してくださる龍さんは

こちらのスタディグループも

行っていて・・・

スタディーグループの詳細|本田健の幸せな小金持ちになるホームページへようこそ(アイウエオフィス公式サイト)

具体的なおもいを

たとえば、龍さんご自身が

外資の社長さんでもあるので

上司や部下との関係、お仕事のこと、チームワークなども

根っこからみれたら、これまでとは

ちがった体験がはじまると、おもいます。^^

(わたしも、面白い体験をしたのですが

そのお話は時間があったら瞑想会の時に…)

4/20のことは、またお知らせします。

 

 

いろんなおもいが分離なら

統合された、たったひとつのおもい、

ことばに映すなら

愛のおもいって

なんだろう?

とかんじてみました。

 

それは、最近、お話してくださる方も

練習していることで

深い深いところに

たずねてみたり

聴いてみたり

まねいてみたり

感謝につつまれたり、

信頼にみちていたり・・・

 

そういう、曖昧な、流れのあるところ。

 

わたしは、偶然の一致を

いまは、あまり大切にみていません。

それは、練習もかねていて・・・

わたし自身、本質をみすごしてしまうから、です。

 

きいてもらえることに

たずねられていることに

かえってくる安心感に

ふれていたいから、でもあります。

 

 

四方八方に、土の中に

はる根を

みてみたいとおもいます。

桜もちも、葉っぱついているやつが

たべたい!(こしあんで!)

 

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カミナリの命名。 聖霊に聴いてみること。

 夜の雷から、一変して、快晴です^^

 

雷といえば、

うちのお母さんから

「テレビでお笑いみていたら、

ぜっっったいに

この人は茨城出身の人だとおもったの!!」と

熱弁されました。

その芸名(コンビ名というのかな?)

が「カミナリ」らしく、なぜカミナリなの?

とお母さんに聴いたところ

「名前をかえよう!となって、その芸人さんの

お母さんにきいたら、丁度雷が鳴っていたから

カミナリでどう? といわれて、そうなったみたい!」

ということでした。

 

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クラスでも、セッションでも

 普段から

どちらがいいとおもいますか?

どう考えますか?

 

と、聴かれるときに

個人としてのわたしがどう思うか

というところも

あたりまえに、出てきますが

その奥の心、Spirit

また相手の方の聖霊に聴くようにしています。

つながっているところに、です。

だから、すこしだけ

(いや、だいぶかな)遅いです。

 

個の自分をふくめた、全体に貢献している

その真の自己の中心から

ズレてしまうと、疲弊しすぎます。

 

だから、聴くこと、尋ねること

立ち止まること、

「いま」の中心を

おしえてもらうこと

を、プラクティスしています。

どなたかがいる、それは

その方との「間」にこそ

中心、本来のわたしたちが

存在しているのです。

 

ご質問やお話いただいた方は

すべて、つねに

ことあるごとにおもってます。

(返事おそいだけで・・・)

あずけて、祈りの

あることも うれしいです。

 

「聴いてもらえるだけで、ありがたい」と

お話される方がいますが

「お話してくれて、

一緒にあずけられることこそ

ありがたい」と

かんじます。

 

 

これは、以前おしえていただいたことで

聞き流せなかった部分をふまえて

かきます。

 

奥の存在、声、Spiritを感じるには

体感、感知することは

身体からです・・・

「聴く」「みる」「感じる」

どれも、身体を通って

きています。

身体というのは

この「奥の心」を感じようとする

その目的において、

大切な道具、パートナーです。

最初に「Spirit」、そのための、

たいせつな道具・パートナーです。

 

ヒーリングも身体をつかいますが

Spiritに聴きながら、ついてゆくだけなので

「こうしよう」

「こうしておいたらよいかな」という

コントロールがはずれてゆきます。

「なんとなく・・・

ここのような気がする」という

力みのぬけた感覚を

お互いにうけとれます。

 

 

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スズメの朝ご飯。

 

 

明日は、朝7時ごろから

瞑想とヒーリングをすることになりました。

たのしみ^^

 

 

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Healing ヒーリングのこと。

こちらの記事を読んで、

かんじたことを、かいておきます。

⑨ ヒーリングの前提 - yasukokasaki.com

 

 

奇跡のコースをベースとした「ヒーリング」は、

いま、この瞬間に

深くはいっていき

無限にある英知、豊かさ、

インスピレーションを

その2人ともが同時にうけとること

だとかんじます。

霧がかった、個人的なおもいを

とおりぬけて

ずっとその奥にある

やわらかさにふれてゆもの。

 

 

受ける人も、施す人も

なにもかもが、同時。

 

ヒーリングは

日頃から、だれしもが行っていることで

特別なことではないです。

お料理も、写真も、

文章や、空間、作品、何気ない会話も。

ある、という

「存在」そのものが、ヒーリングのように

かんじます。

 

 

心の奥底にチューニングされると

自動的に

まわりもととのいます。

どのアプローチでも

かまいません。

最適なものに、必ず、出逢えているはずです。

 

 

そのチューニングを、

ご一緒にさせていただくこと

そして、自分だけの独りよがりなおもいを

てばなして、ほんとうに「奇跡の道具」として

使ってもらえること、とても有り難いです。^^

 

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ヒーリング遠隔でのご希望は

別途、コメントやメッセージ

megumi.miyamoto.0910@gmail.comまでご連絡ください。

遠隔の場合は、うけとった内容をお手紙にして

郵送いたします。

直接のヒーリングは、東京 高円寺と

茨城でご希望があるときに

行っております。

現在、モニター募集、交換セッションは

行っておりませんので

あらかじめご了承ください。^^ 

 

 

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朝の呼吸。見守りのあるところ。

朝から、カエルが鳴いています。

 

1匹が鳴くと、まわりも

つられるように

鳴いてゆく・・・!

共振するのか、鳴き止むと

みんなで、休憩していて。

 

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それと、季節はずれのシクラメン

最初のころは

枯らしてしまうかもと

おもっていましたが

声をかけてみたら

まだまだ、咲きそうです。

 

手入れではなく

守りが大切ですよ、と

叔父さんがかしてくれた

本にもありました。

 

 守り、とは

見守りのこと、ですね。

 

 

まわりと

くらべすぎてしまったり

仕事を、

自分とまわりのためにと

一念発起してやめたのに

または、新しくはじめたのに

うまくゆかなかいと

みてしまったり。

 

ひどく疲れてしまうのは

聖なる呼吸と、

まわりとじぶんの

光をみていることを

忘れて

たえまなく、(意味のない、力のでてこない)判断、分析することを

選んでしまうから。

 

 

エゴのドラマとは、

突き詰めると

「こんなはずじゃないのに」と

いまの自分や環境に

あせりがあるときかもしれません。

このいまの完璧性を

わたしだけでは、みれなくて

つらいとき、かもしれません。

 

ドラマそのものが

ゆるされているのではなく

テレビドラマをみているときのように

それを、みて、心がうごいている

そこが、ゆるされて、あるのです。

 

深呼吸をして、

いまいる空間や

空を

心でみる、そのときに

胸の奥から

やわらかな風が

ふいてゆくのを

かんじられます。

 

かんじられるのは

それこそが、「いいよ」と

神に、語られているから。

そこに、霊(スピリット)がいるから。

 

ゆるされている、

というのは

仰々しいものでなく

区別や分離の感じられないところまで

ひきあげてもらえる感覚です。

 

 

 

 

きょうも、やさしい一日を:)

 

 

 

 セッションのことは、こちらからご確認ください:)

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最近の猫さんから、おしえてもらったこと。7回祈ること。

 

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足、でてるよ、猫さん。。。w

 

 東京にいるときは

ほぼお世話させていただく

(わたしのお話を、うんうん、と聴いてくれて

お世話になっている)

猫さん。

部屋にずっといるのですが

朝4、5時に起こしてくれます。餌ほしい、と。

 

心が

いちばん嬉しいのは

その方の光を

みれたり、うけとれたり

するときで

猫さんも、驚異的に、

みせてくれます。

 

以前、ウンチがでなさすぎて

動物病院にいき、

相談したところ、水分不足で

ウンチのかたまりがあるとわかり

「これは、出なさそうだから、一緒にとりだしてしまいましょう」

と、先生がとりだしてくれました。

猫さんは、だいぶ痛かったのか

じぶんから、連れて来られたカバンのなかに

終わったあと、一目散に

もどってゆきました。

 

「点滴もやっていったら

どうかなとおもったけど

きょうは、やめておこうね」と

猫さんのきもちに

寄り添ったその姿勢に

とても感動してしまい、

当たり前のことなのに

わたしのこころもちも

ただされました。

 

目の前の方の

心だけをみる。

そこを、獣医さんも

猫さんもみせてくれて・・・。

 

 

余談ですが

猫さんのウンチが

部屋におちているのに気づかず

(トイレでしても、体力ないと、糞がついたまま

そとの布団にもどってきてしまうのです)

主が、ふんでしまったとききました。

それって、とても

「もぉ〜〜」と、困りそうな感じもしますが

主も、わたしも、「でてよかった!」という

歓喜ばかりでした。

 

猫さんは、わたしに

7回祈ること、その実践も

あたえてくれました。

 

これまでのことも、そっと

おいておいて。

未知への不安も

失う怖さも

だんだんと、あたたかさと

光になじんでゆくような。

 

わたしが、飼っていた大好きなコーギー

幸ちゃんに

できなかったことを

猫さんは、させてくれたようにも

おもえました。

(きょうも

猫さんも、お世話になってきた方も

お話を聴かせてくださった

方のことも、心をあわせて。)

 

 

いつも、そこにいてくれて

ありがとう。

 

 

 

 

 

感覚をふかめて、Spiritの愛にふれてゆく。

 パンジーの鮮やかな色・・・!

 

庭の草抜きをしました。

頼まれてやるより

コロボックルみたいに

密かに、やっといたよ

が好きなのですが、笑

今日は

すこし雑な草抜きになっていました。

(寒い中、たのまれたので。笑)

 

 

わたしは、料理も家事も

まったく教わったことがなくて

なぁんにも知らず。

家から出て、

まわりの方から

一緒にやってもらって

自然と学んでゆけました。

 

「いつのまに!」

「仕事が丁寧だね、」

「部屋がぴかぴか!」

 

そう褒められるときは

じつは、ほめられているのは

もっと奥の存在、神であり

わたしのまわりの方々、

もうひとりの

わたし、です^^

 

めんどくさがりな「わたし」も

います。

それも、ゆるしています。

だって、その「わたし」は

だれもみていないとき

知らないところで

ものすごく「観て」いるから。

 

 

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表現できると

さらさらとした、

小川の流れるような

感覚です。

 

あなたが、感覚を

ときはなちたいとき。

その感覚は、まわりのため

もうひとりのじぶんのため

聖霊の感覚です。

 

心の、奥の奥で

感じていることを

一致させながら

生活してみましょう。

この一致、Courseでは、

聖霊とともに行う感じです。

 

 

深呼吸する方もいますし

胸に手をあてて

スピリットに聴く方もいます。

動的な瞑想をする方もいますし

ただ、ただ、ノートに想いをかく方も。

 

レベルのちがう、

祈りにふれると、命の光で

わたしは

もどれます。(もどしてもらえます。)  

(「これだ!」という

固定的するのではなく、流れているもので…

セッションやクラス、ヒーリングなどで、

わたしも一緒に調律していただいてます。)

 

 

 

外側の「◯◯のせいで!」と

なるときほど、

また、いつも通りの考えで

停滞感のような感覚をみるほど

ぎゅっとしめつけられます。

 

閉じています。

自分(分離した自分という、自我)の

クセでもあります。

 

 

自我のエネルギーは

気づかずに選ぶほど

重たく、

空っぽの状態(愛の状態)とは

ぜんぜんちがっていて。

 

 

 

 

 

外側のあれこれに

たとえば、

関わるものごと、ひと

本にある知識、

こりかたまった自分ひとりの考え

そこに

意識がむきすぎるとき

 

まるで、

じぶんには力がない、

価値がない、

となってしまいます。

 

 

そのときに、

そこを掘り下げても

ちょっと違うかなぁ、と。

だから

「助け」を

心からおもえました。^^

 

 

 

なにか、

外側のことのせいで、

あなたの輝きが

そこなわれることは

ないです。

 

もしそれが

ありうるときは。

 

自分には

なにもない、と

ほかでもない

自分自身が

(まったく意味不明なことを)

証明しようとしているときです。

 

 

いそがず、あせらず、じっくりと。

 

そのための材料や道具が

目の前にあることは

うれしいことでも

あるはずです。:)

 

「恐れがあるということは

あなた自身が強さを

もっているということを

信頼していることの

確かなしるしです。

恐れるものなど

何一つないという自覚は

あなたは

まだ気づいていないかもしれないけれど、

心のどこかで

あなたは神を覚えていて、

自分の弱さを神の強さに

取って代わらせているということです。

あなたがそうすることを望んだとだんに、

本当に恐れるものなど何ひとつなくなります。

Lesson48  A Course in Miracles」

 

 

 

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