あること。いまを、いきること。ー another room

奇跡と恵みにあふれた世界をうけとるために、祈りとA Course in Miracles(奇跡のコース)を通して 内なる力を育てています。

関係性のなかに、愛をみる。「いいたいこと」

こんにちは。^^

 

わたしは、いろんなドラマを経験していますが、

それは人間関係やモノとの関係

そのなかにありました。

逆をいえば、関係性のなかに、愛や奇跡が

あったのです。

 

「言いたいことをいえばいい」

「ほんとうは、こう、おもってる」

 

これは、おそらくですが

たったひとつの「愛」にもどるために

起こしているのでしょう。

 

 

 

おともだちの記事。

共感するものもあったので

(そしてそれは、おそらく昔のわたしでもあり・・・)

のせます。

 

ameblo.jp

 

恐れ(call for love)にある、

愛だけをみる

というもの。

 それは、だれかれでなく

じぶんの責任で。そして、一緒にそれを

協力して見ようとしてくれる人がいるからこそ

喜んで、待ってみれている、そうおもいます。

 

 

「知覚の扉をこえて」という

courseのレッスンから

「まったく、わたしの見ていること

聴いていることは、あてにならない」

ということを、体験してきました。

「あの人がこういった」とか

「この人がこうだった」とか。

 

知覚を変えるのは

自分じゃないと知ったとき

とても楽になりました。

お願いをして、みせてもらう。

それは、「神様、お願いです、、」という

小さなときの、神頼みににていました。

 

 

こんな表現がありました。

 

『誰にでも、いつでも、取り組むべき問題はあります。

すべて順調!というのは見せかけです。

自由で限界のない心はつねに拡張しているので、いつも「もっと持てる、もっと見られる、もっと分かち合える」と挑戦されているようなものです。問題とは。自分がまだじゅうぶんに与えていないものを見せてくれるものです。それ以外にはなんの意味もありません。だから、どんな大事が起こっているように思っても、あわてず、深刻にならず、光をあてていなかった部分に愛と安心を提供しましょう(ワークブック3「聖なる関係」より)』

 

 

 

「たまったものをはきだす」というのは

そのためてきたもの、

ほんとうの姿を、みたいです、

と訴えかけている人そのものです。

 

意欲がためされているのかもしれません。

だれの?

わたしたちの。

心だけが力をもっています。

なにを、わたしがおもうかは

とても大切にしていきたいのです。

じぶんだけのためじゃなく

みんなのために。

 

 

 

だれかや、なにか、そして

じぶんを苦しめる出来事など

存在しないのです。

存在するものは、自由と喜び。

愛の経験。これだけ、です。

 

愛を、いっしょに、生きましょう、めぐちゃん。

 

これからも、頼む、めぐ。

 

 

そういってくれた、教師たちの

あたたかなおもいに

いつも、むねがあつくなるばかりです。

 

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夜明け前。


 

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